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★津軽三味線『藤秋会』家元★加藤訓の公式ブログ 津軽三味線考その5
義理の叔母の言葉に奮起した私が目指したのは、先ず生活がしっかり出来る様にしようと思った。それがきちんと出来ないと津軽三味線の評価は上がらない。

幸運な事に民謡日本一の歌手三人と三味線、尺八の5人で五星会という民舞団が秋田にあり、歌手は民謡日本一、長谷川久子、佐々木常雄、千葉美子、伴奏人にその後名人位になった、三味線の佐々木實、尺八の藤丸東風とそうそうたるメンバーの専属として給料制で来てくれと声がかかった。

しかも舞台がある時だけ行けば良く、その他は自由だと言う有難い仕事をいただいた。
当時五星会の看板である長谷川久子先生は東北の女王と言われた方で、この方の専属として伴奏を付けられるのはある意味でステータスであった。

津軽三味線全国大会が弘前で開催されたのが1982年、昭和57年で弘前を拠点に活動していた山田千里先生が始めたが、当初出場者は大半が山田一門で身内のコンクールの様だった。
藤秋会が初めて合奏で参戦したのが第6回大会の時で昭和62年、この時運良く優勝したのには正直自分でもビックリした。

時代が平成に変わった年に新たに弘前からほど近い金木町で、第1回津軽三味線全日本競技会が開催されこの時も合奏で優勝。
少しずつではあるが津軽三味線が細やかながら注目される様になった気がする。

しかし盲人の角付け芸として蔑まされた津軽三味線に対する本当の評価は、それで食べて行くことを証明することで認めてもらえる事だと思っていたので、まずは自身の生活を安定させることが先決。いくら立派な音楽でも食べれないものに対する評価は低い。

この頃普通の家庭でピアノやバイオリンを親が子にやらせるのはステータスであり、子供に津軽三味線を奨励する親はまだまだ稀な時代で、津軽三味線に対する評価の低さがそうさせていたのである。
それもそのはず、ピアノやバイオリンと言えばヨーロッパの裕福な貴族達が、華やか宮殿で繰り広げられる舞踏会に登場する楽器で、貧困を想像させる津軽三味線とは雲泥の差なのである。

私のライフワークは津軽三味線の地位を上げてやがてピアノやバイオリンと肩を並べられようにすること、この目標は長年変わることはない

いつ来るかわからない仕事を待っているのでは生活が不安定であり、舞台活動から教室をしっかりと確率して行くことに軸足を動かしたのもこの頃である。

県外教室が次第に増えていく中で【絶対弾ける津軽三味線】と題したビデオを出した事でその反響は想像以上で、次第にその指導法が広まりお弟子さんも増えて行き生活も安定して来た。
それでもこの頃の秋田ははまだまだ三味線で食べている事への理解度は低く、【加藤さん、お仕事は?】と聞かれ三味線で生活してますと言うと、必ずと言って良いほど【えっ!三味線ですか?】と聞き返された。


その理由はそんなものでは食べられないだろうとの先入観が根底にあったからに他ならない。


つづく
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