藤秋会本部TOP  藤秋会日本一賞歴  藤秋会海外公演  藤秋会家元とは?  プロ集団IWAKI  藤秋会公演実績  全国藤秋会MAP
★津軽三味線『藤秋会』家元★加藤訓の公式ブログ 津軽三味線と秋田三味線
津軽三味線には以前何度も触れてるようにその発祥は明治の初期で、青森県北津軽郡神原村(旧金木町、現在の五所川原市)の盲人、仁太坊が始祖と言われてるが、当時の津軽は厳しい環境と度重なる飢饉で盲人が生きて行く環境にはかなり厳しかった。
生きる為にはただひたすらに聴衆受けする演奏をしなければ、それは死に繋がることを意味したのだ。

それゆえに仁太坊は研究に研究を重ねて現在の津軽三味線の元を作り上げた。


それでは隣県秋田の秋田三味線の成り立ちはどうだったのだろうか?
秋田三味線を確立したのは名人位で昭和56年に、勲五等双光旭日章を受章した故、【浅野梅若】師匠。

師は明治44年生まれで、津軽三味線隆盛に大きな貢献をされた一つ違いの【高橋竹山】氏とは津軽三味線と秋田三味線の両雄として良くテレビなどで取り上げられた。
ちなみに竹山氏も昭和58年には勲四等瑞鳳章を受章している。
今でこそ変わって来たが、師匠達が苦労した若かりし頃の民謡人の社会的地位は決して高くなく、むしろ逆だった。
その両氏が叙勲の栄に浴することは我々後輩民謡人にとっては真に誉れであって、その朗報は我が事の如く嬉しかった。


梅若師匠は村に巡業に来た金浦町の高力市太郎の三味線に魅せられて、高力氏に弟子入りしその後各地の一座で修行を重ね、後に秋田三味線名人位の地位を確立する。
梅若の梅の字は、津軽三味線の名手として名を馳せた【梅田豊月】に師事したことから付けられたと言う。

さあ、それでは秋田三味線の代名詞とも言われる浅野梅若師匠とはどんな人物でどんな三味線だったのだろうか?

つづく
関連記事

コメント
コメントを投稿
URL
コメント
パス設定
秘密 管理者にだけ表示を許可