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★津軽三味線『藤秋会』家元★加藤訓の公式ブログ 浅草、民謡酒場前編
お盆が過ぎても涼しくならなかっ秋田だが、やっと今朝は肌寒いくらいで、例年並みになってきた。
今日から三日間の予定で名古屋から日頃お世話になっている方々が大曲の花火に来る。
つかの間でも地獄の暑さから解放してあげたいが、この調子だと大丈夫そうだ。
問題は雨、花火の時期になると必ず荒れるので、せっかく来てくれるのだから雨だけは避けたい。


さて先日、山田百合子先生の話を載せたら、名無しさんと言う方から、昔の話大好きです。とのコメントを戴いた。
今日は記憶をたどって私がいた当時の浅草にあった民謡酒場のお話をしたい。

終戦後の復興、オリンピック景気で東京には全国から多くの労働者が駆り出された。
30年代になりそれまで一座を組んでどさまわりをしていた東北の芸人達はこぞって東京へ出て行ったが、落ち着き先は、郷土の匂いを求めて労働者が疲れた心を癒しに来る民謡酒場。


私が民謡会館七五三に入社した53年当時はかなり減ったとはいえ、店から歩いて10分くらいのところに10軒はあったからまだまだ賑やかだった。

民謡酒場に入社とは、んっ?と思われる方もいると思うが、七五三は株式会社で民謡酒場と言うよりは劇場と言った方が良いくらいの規模で、舞台の後ろが全面ガラス張りで豪快に滝が流れ、しかもライトアップされていて、おまけに生バンドまで入っていたから、演芸ホールとでも言った方が似合ってる所。
しかも専属の下足番が三人もいて、お客様が来るとマイクでご来店した旨を中の中居さんに知らせるシステム。


そんな七五三は一時期はとバスのコースにもなっていたし、何とオランダのユリアナ女王がいらした事もあるくらいだから、同じ民謡酒場でもここにいるのが一種のステータスであった。
私がいた当時でも横綱や幕ノ内の名の知れた関取がタニマチと良く来ていたし、芸能人の来店も珍しくなかった。
特に印象に残っているのは、世界の北野として有名になったビートたけしさん。
漫才ブームで超売れっ子だったが店には度々顔を出してくれた。


七五三はプロの登竜門と言われ、過去、現在にわたって民謡歌手、津軽三味線で活躍している人もここから出た人が多い。
七五三を筆頭に大小10軒ほど、どこの店も秋田、青森から出て来た芸人がほとんどだった。
中でも七五三は青森県人が圧倒的に多く、芸能部には、歌い手、三味線弾き、バンド、そして一番多かったのが、踊り子。

踊り子は青森から津軽の手踊りを踊る若い女の子達で構成され、全盛期には宝塚と同じように幾つかの組に分かれていたほど。

津軽の手踊りは勿論、生バンドによる、紀伊國屋文左衛門や赤垣源蔵などの長編歌謡浪曲などは特に人気が高かった。

一時期は青森県の黒石にも支店が有るほどの盛況ぶりだったが、昭和50年を境に次第に民謡酒場にも陰りが見えて来た。
戦後から30年、日本は完全に復興を遂げ、かつての地方労働者達が田舎に帰ったり、都会の生活に慣れ、次第に民謡に故郷を求めなくなったのも要因である。

周りの民謡酒場も同様で、この頃から次第に客足は遠のくのであった。


つづく
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