藤秋会本部TOP  藤秋会日本一賞歴  藤秋会海外公演  藤秋会家元とは?  プロ集団IWAKI  藤秋会公演実績  全国藤秋会MAP
★津軽三味線『藤秋会』家元★加藤訓の公式ブログ 加藤訓、民謡会館七五三奮闘記、その4
オリンピック景気に湧いた昭和30年代後半。東京には全国から労働者が駆り出された。

中でも東北は、青森、秋田からの人が多く、夜とも成れば故郷の臭いを求めて民謡酒場へと足が向く。
そこには郷愁にかられた同じ思いの人々が集い、店は連日大盛況で、店主は面白いくらい儲かったと言う。

中でも人気が有ったのが、津軽民謡、津軽手踊り、そして津軽三味線だ。
今まで巡業等で、苦しい生活を強いられていた芸人は当然の如く、我も我もと、東京に出て来て、浅草界隈の民謡酒場に出演。
それまでの生活とは比べものに成らないくらいの収入を得たと言う。
そんな賑わいも50年頃を境に段々衰退して行く。
私の民謡会館七五三入社は53年なので一時の賑わいからは大分落ちた頃で有る。

それでも浅草界隈にはあげれば、七五三を筆頭に、りんご茶屋、秀子、追分、みどり、山唄、浩司会館、鶯、小笠原、小松茶屋など、数多くの民謡酒場が有った。

当時、七五三の定休日は水曜日。
休みの日とも成れば、夕方から民謡酒場のはしごがお決まり。

ただ、酒を飲みに行くのが主では無く、勉強しに、偵察と言った方が良いかも知れない。
ショーの時間に合わせて行き、その店の三味線弾きの腕前を偵察。良い技術を間近に見られるのは、最高の勉強に成った。

逆に他の店が休みの時は、七五三にもほとんどの三味線弾きが訪れ閉店後に一緒に夢を語りあったものだ。
今は中々間近で見たくても、店そのものが無い。

あの頃は良かった。
競って勉強する場所が有った。
山田百合子先生にお供する日まで後三日。

今日も舞台の幕が開く。
つづく
関連記事

コメント
コメントを投稿
URL
コメント
パス設定
秘密 管理者にだけ表示を許可