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★津軽三味線『藤秋会』家元★加藤訓の公式ブログ 2019年05月16日
民謡王国と言われる秋田で生まれ育った私だったが、民謡には全く興味がなかった。

当時SAXを吹いていたことから壊れた三味線を友達がくれたことで始めたのが17歳の時、それも独学である。
高卒後に横須賀の海上自衛隊に入隊、教育隊を経て艦隊勤務になってから母親に三味線を送ってもらい、休日に練習を再開した。

この世界に入る決定的な判断をしたのは、当時乗艦していた、香取が、定期整備で東京石川島播磨重工のドックに入った時、休日にかねてから行きたかった浅草で最も大きな民謡酒場、七五三に足を踏み入れてしまってからである。

その時の衝撃は今でも鮮明に覚えている。
玄関には民謡会館七五三、と染め抜いた半纏を着た男性が下足番として三人もいて、私が店に入ると何と!マイクで【いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、お客様ご案内】とアナウスする、

そうすると担当の中居さんがこれも和服に七五三と染め抜いた赤い前垂れをしてさっと笑顔で出迎えてくれる。
中に上がってその広さに圧倒された。
そこは300人はゆうに入りそうな座敷が広がり、その正面は大きなステージでガラス張りの先には岩から豪快に吹き出す滝が流れていて、その壮観さに度肝をぬかれた。

凄い!これが噂に聞いた七五三かあ。民謡酒場と言うよりは劇場である。
ここで津軽三味線を本格的に勉強したいと思うにさほどの時間はいらなかった。
私の心を鷲掴みにするにその場所は実に衝撃的であり、店を訪れたのは運命であり、今に思うと必然だったのだろう。


何度か通ううちに私の心は決まっていた。
良し!ここで修行して津軽三味線で身を立てようと。
艦の上官には随分考え直せと言われました。
それもそのはず、その歳の四月から、乗っていた香取は半年の世界一周の遠洋航海に出る予定だったのですから。

今でも世界一周は中々出来ることではく、40年以上前の話、当時は叶わぬ夢だったのですからそれを捨てて何で?と思ったのでしょう。
それと三味線で身を立てる事には全く理解が出来ないほど、その時の津軽三味線に対する社会的地位は、その上官には高くはなかったのでしょう。
その当時の津軽三味線の地位はまだそんなものだったのです。


しかしながら、私はあえて反対を押し切りその道に飛び込む決意をしたのです。


つづく

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