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★津軽三味線『藤秋会』家元★加藤訓の公式ブログ 2019年05月14日
津軽三味線は明治の初期に青森県の北津軽郡金木町神原で生まれ、その幼少期に失明した仁太坊事、秋元仁太郎が生きる為に三味線を懸命に覚え角付けをしたのがその誕生だと言われている。 

角付けとは各家々の玄関先で三味線を演奏し、僅かばかりの米などの品物を貰う事である。
当時度重なる飢饉に見舞われてた津軽地方は、普通の人でも生きる事が精一杯な時代、まして盲目の方々は家族のお荷物であった事は容易に想像出来る。

そんな中を必死に生き延び、独特な音楽を作り上げた盲目の津軽三味線奏者は、長いその歴史の中で蔑まされる存在を生きながらも、角付けでいかに多い米を貰う為にその研究に余念がなかったと言う。
それは好きでやるのではない、まさしく生き延びる為なのである。

その過酷さは最後の角付け芸人と言われた高橋竹山氏が定期的に行った渋谷じゃんじゃんでのライブで、あるいは地元青森のテレビ局やNHKが制作した番組等でも詳細に語られている。


津軽三味線が注目されている現在、竹山氏の生き様を、寒撥  のタイトルで全国上映されているので是非ご覧いただきたい。

いずれにせよ、津軽三味線で生きるその過酷さは筆舌に代え難い壮絶なものであったことは確かだ。


そんな津軽三味線を少し考えてみたい


つづく

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