藤秋会本部TOP  藤秋会日本一賞歴  藤秋会海外公演  藤秋会家元とは?  プロ集団IWAKI  藤秋会公演実績  全国藤秋会MAP
★津軽三味線『藤秋会』家元★加藤訓の公式ブログ 2019年05月
海上自衛官との別れを告げ七五三に入社した私はそれまでの生活と一変、日々朝から晩まで津軽三味線を追求する日々に変わった。

当時はまだまだ若い人が津軽三味線で身を立てようなどと思う人は少ない時代。
昔よりも意識は少しずつ変わりつつはあったろうが、まだまだその職業に対する評価は高くはなかった。
その事をはっきりと感じたのはその後に秋田に帰って来てから。

秋田市内の民謡酒場の専属伴奏として店に出ながら、当時秋田の民謡界では津軽三味線を弾ける人は珍しく、直ぐに教えてくれと言う方々が現れて教室活動も始めたが、青森の隣県、秋田も三味線奏者や民謡に対する評価は決して高くはなかった。

民謡王国として不動の地位を築いていた秋田県だが、民謡が好きと職業としての評価は全く別の話なのだ。
それは職業として成立させるに現実は中々厳しいものがあり、その事が評価されない所以であったのだろう。
極め付け、とりわけショックだったのは弘前出身の義理の叔母の言葉。


母親の兄、私にとって叔父は秋田県警の警察官であり、その連れ合いの義理の叔母は弘前城下の寺の娘であった。
叔母にすれば津軽三味線は盲人の角付け芸で負のイメージしかなかったのでしょう。
まして寺の娘の叔母は特別にその意識が強かったのだろう。

叔母は遊びに行った私はに対して、【訓ちゃん、あなた何が悲しくて、ボイドの真似しなきゃならないの】と。
ホイドとは、津軽や秋田では一言で言えば乞食のこと。
叔母にしてみれば身内からその様な者が出るのは耐え難かったに違いない。


流石にこれにはショックでした。
よ~し、今に見ていろ!
私は叔母のこの言葉で絶対にこの世界で立派に生きてやると心に誓ったのです。


つづく

関連記事
昨日の朝のワイドショーで県民が自分の住む県に感じるストレス度合いで、何と私が住む秋田県が昨年に続いてワースト1だそうです。

私が秋田県に対して感じるストレスは確かに雪が降るとかはありますが、逆に満足度をプラマイすれば日本一ストレスの高い県だとは決して思いませんが、ちょっと残念。

今まで多くの会員や友人が秋田を訪れましたが、概ね評価は上々で喜んでいただいてると自負してます。
食べ物は美味いし、酒も美味い。
更に美人が多い。

世界一、大曲の花火に、世界文化遺産のなまはげに名湯の数々。現在その人気は世界的にうなぎ上りの、秋田犬。みちのくの小京都、角館武家屋敷に枝垂れ桜。
持ち家率、人口あたりの美容院の数、70歳以上の雇用率はいずれも全国ナンバー1。
小、中学生の学力テストは常に国内トップクラスを維持している。


こんな素晴らしい秋田がストレスワースト1とは、何かの間違いではないだろうか?

確かに日照時間は日本一短い、所得も低い、高齢化率も全国一、脳卒中率もナンバー1    自殺率もずっとワースト1だから、そんなところからきた数字かも知れないが、秋田県は良い所です。


ストレスは1番身体に悪いと言われてるが、ストレスを無くして健康的な生活をおくりたいものだ。

関連記事
民謡王国と言われる秋田で生まれ育った私だったが、民謡には全く興味がなかった。

当時SAXを吹いていたことから壊れた三味線を友達がくれたことで始めたのが17歳の時、それも独学である。
高卒後に横須賀の海上自衛隊に入隊、教育隊を経て艦隊勤務になってから母親に三味線を送ってもらい、休日に練習を再開した。

この世界に入る決定的な判断をしたのは、当時乗艦していた、香取が、定期整備で東京石川島播磨重工のドックに入った時、休日にかねてから行きたかった浅草で最も大きな民謡酒場、七五三に足を踏み入れてしまってからである。

その時の衝撃は今でも鮮明に覚えている。
玄関には民謡会館七五三、と染め抜いた半纏を着た男性が下足番として三人もいて、私が店に入ると何と!マイクで【いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、お客様ご案内】とアナウスする、

そうすると担当の中居さんがこれも和服に七五三と染め抜いた赤い前垂れをしてさっと笑顔で出迎えてくれる。
中に上がってその広さに圧倒された。
そこは300人はゆうに入りそうな座敷が広がり、その正面は大きなステージでガラス張りの先には岩から豪快に吹き出す滝が流れていて、その壮観さに度肝をぬかれた。

凄い!これが噂に聞いた七五三かあ。民謡酒場と言うよりは劇場である。
ここで津軽三味線を本格的に勉強したいと思うにさほどの時間はいらなかった。
私の心を鷲掴みにするにその場所は実に衝撃的であり、店を訪れたのは運命であり、今に思うと必然だったのだろう。


何度か通ううちに私の心は決まっていた。
良し!ここで修行して津軽三味線で身を立てようと。
艦の上官には随分考え直せと言われました。
それもそのはず、その歳の四月から、乗っていた香取は半年の世界一周の遠洋航海に出る予定だったのですから。

今でも世界一周は中々出来ることではく、40年以上前の話、当時は叶わぬ夢だったのですからそれを捨てて何で?と思ったのでしょう。
それと三味線で身を立てる事には全く理解が出来ないほど、その時の津軽三味線に対する社会的地位は、その上官には高くはなかったのでしょう。
その当時の津軽三味線の地位はまだそんなものだったのです。


しかしながら、私はあえて反対を押し切りその道に飛び込む決意をしたのです。


つづく

関連記事
当時の津軽は天然痘による失明者が多かったという。
それに厳しい冬を越すのに暖房は欠かせないのは当たり前で、換気の悪い家で囲炉裏にサルケと言われた津軽独特の泥炭をいぶす煙で眼病を患う人が多く、更に医療も進歩してない状況からすると、なるほど失明者が多かったのも納得いく。

先に述べた様に失明者が生きていく術は三味線を弾いて角付けをするか按摩になるしか無かった時代。
しかしながらそのずば抜けた聴覚から醸し出す音色は独特の味があり、多くの人々に感銘を与えた。


特に津軽全域で年に数回行われる神社などの祭礼には欠かすことが出来ない大切な収入源だったという。
農繁期に農民は田圃に出てしまうので角付けをしても家に人がいなく収入にならない、主に角付けは農閑期に行われたそう。

冬は雪で角付けが出来ないので座打ちと言って、主に村の金持ちの家に何日か逗留し、村人に三味線、唄、鳥や動物の鳴き真似などの芸を披露して生活の糧にしてたそうだ。

津軽三味線は盲人がやるものと決まっていたが、その魅力に取り憑かれた青眼者がやる様になったのが明治の中頃からで、次第に青眼者にも広まる事になる。
しかしながら、もともと世間から蔑まれてた盲人の坊様芸は、青眼者がやってもさほどその評価は上がらず、社会的評価はずっと低いままだったのである。

津軽三味線が注目を集めるのは、一座を組んで東北一円や北海道をまわっていた興行が戦争で次第に下火になり、戦後の復興景気で津軽の芸人が東京に出て来た昭和30年代からである。

白川軍八郎、木田林松栄、高橋竹山、福士政勝、小山貢、山田千里、佐々木孝、高橋裕二郎、藤田淳一、澤田勝秋、五錦竜ニ、各氏の活躍により次第にそのファンは確実に増えては行ったが、あいも変わらずその職業の社会的地位は決して高くはなかった。


それはあくまでも盲人坊様の芸だとの先入観から抜け切らない、蔑んだ意識が特に青森や秋田や岩手の人々に伝統的に受け継がれて来たせいだろう。



つづく

関連記事
津軽三味線は明治の初期に青森県の北津軽郡金木町神原で生まれ、その幼少期に失明した仁太坊事、秋元仁太郎が生きる為に三味線を懸命に覚え角付けをしたのがその誕生だと言われている。 

角付けとは各家々の玄関先で三味線を演奏し、僅かばかりの米などの品物を貰う事である。
当時度重なる飢饉に見舞われてた津軽地方は、普通の人でも生きる事が精一杯な時代、まして盲目の方々は家族のお荷物であった事は容易に想像出来る。

そんな中を必死に生き延び、独特な音楽を作り上げた盲目の津軽三味線奏者は、長いその歴史の中で蔑まされる存在を生きながらも、角付けでいかに多い米を貰う為にその研究に余念がなかったと言う。
それは好きでやるのではない、まさしく生き延びる為なのである。

その過酷さは最後の角付け芸人と言われた高橋竹山氏が定期的に行った渋谷じゃんじゃんでのライブで、あるいは地元青森のテレビ局やNHKが制作した番組等でも詳細に語られている。


津軽三味線が注目されている現在、竹山氏の生き様を、寒撥  のタイトルで全国上映されているので是非ご覧いただきたい。

いずれにせよ、津軽三味線で生きるその過酷さは筆舌に代え難い壮絶なものであったことは確かだ。


そんな津軽三味線を少し考えてみたい


つづく

関連記事
昨日の大分県日田市は好天に恵まれ何と最高気温が30度の真夏日。
令和の幕開けのお祝いムードで開催された記念すべき中九州地区連合大会はパトリア日田で9時45分から式典に続いて、小学生低学年からコンクール開始。





出場者は団体も含めて140人ほどで、驚いたのはその8割以上が若い方々。
全国の地区連合会でこれほど若い方々がいる所は見当たらない。

吉富今日子会長が43歳、脇を固める副会長の高橋浩寿が36歳、古閑一行48歳。
やはりリーダーが若いと若い方々が付いてくる。
将来がとても楽しみな中九州地区連合会です。





           40人による六段合奏も私がたてを取ってバッチリ決まりました。


12月の全国大会で内閣総理大臣賞争奪戦の切符を手にしたのは20歳のお嬢さん、片渕  笑(えみ)さん。





佐賀箪笥長持唄を素晴らしい節回しで唄い上げました。


とにかく楽しみな地区連合会です。
今後のご発展を心から祈念致します。


お世話になりました。

関連記事
半年ぶりに大分県日田市に来ています。
昨年立ち上げた中九州地区連合会の第1回連合大会の審査でお邪魔しました。





昨日が仕込み日で準備のお手伝いをしましたが、若い会長の吉富今日子さんの元に、おそらく全国の連合会で1番若い方の数が多いのがここの連合会だと思います。


新しき令和の時代、若さ溢れる連合会に大いに期待をしながら、1日審査をさせていただきます。

関連記事
先月の第10回秋田民謡全国大会、秋田荷方節三味線コンクールで優勝した、訓音の記事が昨日、中日新聞に掲載された。





2回目から参戦し、苦節9年で今年を最後と決め背水の陣で臨んでの優勝は、色々な思いがが交錯して何とも言えない感動だろう。

それもそのはず、過去8回で訓音は準優勝3度、3位3度とあと一歩のところで涙を飲んでいる。
しかも後輩が次々に先を越して行く中での自分に対する悔しい思いは想像して余りある。

やはり人間諦めては駄目だ!継続してきたからこの様な結果を招くのだ。


焦るな!   腐るな!   負けるな!  諦めるな!


訓音よ、良く頑張りました。


あらためて、おめでとう㊗️🎊🎉。

関連記事
先日何かでこれを見て、なるほどと思い書きとめておいた。


【 言って良い事   悪い事】   【言って良い時   悪い時】   【言って良い人   悪い人】に普段から気を配らなければならない。


なるほどこの3つは日頃から気をつけたい言葉です。

関連記事
2日間にわたって行われた、第58回日本郷土民謡協会春季大会が無事に終わりました。





2日とも晴天に恵まれ、連休で人出も心配されましたが思った以上に多くのご来場をいただきました。
6年続けてきた津軽三味線六段の合奏は250名での演奏、何回も出演してくれた方々も多く息の合った良い演奏が出来ました。





昨年の全国大会もそうでしたが、この合奏を楽しみにしてる方が多いと見え、始まる前に明らかに客席の人数が増えて、終わった途端に半分くらいは出て行きました。
もはやこの大合奏は郷民の名物になっているようです。

事故無く、皆さん笑顔で帰られた事が何よりです。
最高責任者としての務めを果たせてホッとしています。
大会にかかわってくれた全ての皆様に感謝致します。


ありがとうございました、そしてお疲れ様でした。

関連記事