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★津軽三味線『藤秋会』家元★加藤訓の公式ブログ 2017年12月
元々私は吹奏楽をやっていて高校3年の時は指揮者を務めた経験から合奏には非常に興味を持った。
修行した浅草から故郷秋田に帰って日夜私が取り組んだのは譜面制作

とにかく時間があれば譜面を書いた。
とは言ってもこれが凄く大変で、それまでは同じ曲でもその日の雰囲気によって自由に弾いてたものだから、譜面に表す為にはフレーズをきちんと決めなければならない。

指導していく為にはあまり高度になっても覚える方が大変だし、簡単過ぎると聴かせた時の聴きばえがしない。
ああだ、こうだと試行錯誤をしながらの作業はかなり時間も要したし根気のいる仕事だった。

当時はまだ指導する時に譜面を使ってる人は珍しく、ほとんどの人が手うつしで教えるのが一般的。
なぜかと言えば譜面を使えば早く覚えられてしまうからである。
自分達も譜面などなかったし、録音すらしてくれない先生がほとんどな時代、苦労して覚えたものをそう簡単に教えたくないのも道理だ。

そんな時代、私は譜面を書いて、更に津軽三味線の奏法で前撥、後撥を弾き分けるのが他の三味線と違う特徴だが、それを譜面に明記した。

これは習う人が誰もが知りたいことだが、譜面は書いてもそれを明記する人は当時私の知る限りではいなかった。

小山貢翁先生の譜面にもそれは明記されていない。
それを表したことで複数で弾いても撥が揃い非常に綺麗に見えるのである。

皆さんはやりたくないことだったろうが、この譜面であれば確実に早く上達することはわかっていたので、知名度のない私はお弟子さんに早く上達していただき実績を作って組織を早く大きくすることを考えたのだ。


つづく

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夕べ代議士のパーティに出席致しました。
会場は東京のど真ん中、千代田区平川町の海運ビル。

ご案内頂いた方は自民党衆議院議員の笹川博義氏。
この方のご尊父が協会の最高顧問をお願いしている、元国務大臣の笹川尭先生。

笹川尭先生と言えば日本船舶振興会の創始者、笹川良一先生のご子息。
お世話になってばかりでは申し訳ないので出席させて頂いたが、流石!

現職の大臣だけでも何人挨拶されただろうか。



皆さんが声を揃えて言われたのは、お父様にお世話になったご恩は全て息子さんに返せるよう頑張ると。

ご子息の博義代議士のご挨拶も立派で、これから自民党の幹部になっていくのは間違いないと思ったが、それにしても尭先生の偉大さを改めて感じた瞬間。

それぞれ壇上での挨拶も興味深かったが、皆さんユーモアを交えての話術は流石である。


色々な意味で勉強になった夜でした。

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東京の教室は今から20年以上前に八王子市で始めた。

最初からのメンバーに安井さんという方がいて、この方は私の、絶対弾ける津軽三味線ビデオを購入してくれその後に習いたいから東京で教室をやってくれと電話をくれた方で、この方のお陰で東京教室が出来たのだ。

ご主人が群馬の方で定年後に田舎に帰る事になり、そちらに移ってからも八王子まで通っていたが、ご主人のお母様の介護か何かで通えなくなった。

お母様が亡くなりやがてご主人も亡くなって最近東京に帰って来たとは聞いていたが、すでにかなり高齢だったので声をかけないでいたが、先日の青森県民謡協会のコンクールで審査をしていて次に唄う人の名前を見て、もしや?と思ったらやっぱり安井さんご本人でお元気な様子にとても嬉しくなった。

安井さんも私が審査をしてるとは知らず、式典で私が挨拶してるのを見てビックリし終わったら飛んで来た。
10年以上お会いしてない安井さんは当時とほとんど変わっていなくて、もう80を回っている方とは思えない。

その時は時間が無く詳しい話は出来なかったが昨日の教室終了後の忘年会の席でその話になり、昔から一緒だった訓越さんに携帯を聞いたらわかるという。

それからわずか数分後に着信があったのを気付かずにその電話にコールしたら、何とその電話の主は安井さんだったのだ。


[以心伝心]とはこのことか?

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私が小山会の津軽三味線合奏を初めて聴いたのは小山会が出したレコードでだった。
ソロ演奏とは全く違う迫力と音圧に鳥肌が立ちこれだと思った。

その後にテレビでその大迫力の演奏を視た時の感動はいまだに脳裏に焼き付いている。
津軽三味線は元々生活の為に角付けして歩くのに複数で弾くなどという発想はなく、複数では弾くことは邪道とまで言われた。

そもそも津軽三味線は即興的な演奏であり、一回一回フレーズが違う。
故に複数で手を揃えて弾くことは当時は至難の技だったのだ。

こんなエピソードがある。
三橋美智也さんが紅白歌合戦に出た時に津軽じょんから節を歌いそのバックを務めたのが、名人、木田林松栄師匠とその門下生。

確か7人ほどだったと思うが、指導した木田先生が自分が作ったフレーズでありながら木田先生だけが間違ってしまった。
他のお弟子さんはきちんと先生に教わったフレーズを弾いたが、毎回違うフレーズを弾いていた先生は、そのフレーズを忘れてしまい間違ってしまったのだ。

まあ、こんなこともあって合奏スタイルは中々普及しなかったが、それを見事に変えたのが小山貢翁先生なのだ。


なぜそれが出来たかと言えばそれは譜面に表したからである。
それまで一回一回違う演奏は譜面で同じように弾く概念がなかった。

私が修行した頃、師匠に習いに行っても毎回毎回どこか違う。
その度にこちらは困惑してしまい一曲をマスターするのに非常に長い時間がかかり苦労した思い出がある。

譜面に表したことで複数で弾く合奏スタイルはたちまち人気になり、その後、澤田勝秋社中、高橋裕次郎社中などは大人数の合奏を手がけ、津軽三味線は合奏という新しいスタイルをどこの会でも目指す様になったのだ。


小山貢翁先生の功績は本当に偉大だと言わなければならない。


つづく。

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名古屋城の前に能楽堂がある。
普段はあまり縁のないところだが中々重厚で立派な作りになっていて客席は350ほど、裏の楽屋も広くちょっとしたコンサートなどに使うにはもってこいだ。



5年前にもここで訓栄会の総見をやったが、昨日再びここでお稽古。
舞台は足の油がつくと言うので全員足袋を履いての稽古だがこれだけの舞台だったら それも納得。
音響もすこぶる良く次は是非コンサートで使いたい。




訓栄会の皆さん、今年もお世話になりました。

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昨日三重県の県庁所在地、津市にお邪魔した。



過去に何回か訪れたことがあるが失礼ながら県庁所在地のわりにはどことなく地味なところだなあとの印象。

1時から総師範、訓峯率いる訓峯会のお稽古で35人ほどが参加。



新しい方も何人かいてその中でまだ一年弱だが非常にセンスの良い方がいて、これは上手くなる逸材で間違いなし!

聞いたらバイオリンをやっている方だそうで、一切ツボを見ない。

しかも音程もかなり正しい。
たまにこのような人が出てくるが、共通して言えることは、基本がきちんと出来ていること。

基本八分、基本が出来ればあとは曲を覚えてそれを弾きこむだけ。
ところが習いたてはこの基本練習がさっぱり面白くなく、すぐに曲を弾きたがるのがいけない。

基本をしっかりやった人は必ず上達する。!

面白くない基本をしっかりやった人が最後に笑う事になることを忘れてはいけない。


さて?次回どこまで伸びているかとても楽しみだ。


訓峯会の皆さんありがとうございました😊

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津軽三味線の巨匠、小山貢翁先生が今月8日に逝去された。

その訃報は私が審査員として依頼された第32回青森県民謡民舞コンクール全国大会での朝一、審査員紹介の時の司会のアナウンスで初めて知って、その時下手に待機していた役員一同から、えっ!嘘だろうとの驚きの声があちこちから聴こえて来た。

それほどまだその事実を知らず驚くべき大ニュースだったのだ。

私もまさかと思ったが確かに司会者はその事実を伝え黙祷をするアナウンスをしていたのでこれはそういう事なんだと無理やり納得した。


小山会、現在津軽三味線界では最も組織の大きな会である。
現在はご子息の二代目が継いでいるが、初代である貢翁先生は、それまで複数では弾けないと言われていた津軽三味線界において初めて合奏をする為に譜面を書いた方である。

元々津軽三味線に譜面など存在しなく見て覚えるしか方法はなかった。
譜面の登場でそれまでは師匠の所に通い、一回の稽古でわずか数小節しか覚えられなかったものを譜面に表し複数でも同じフレーズで弾けるように画期的に変えたのが貢翁先生なのだ!

それまで単独で弾いてた津軽三味線を100人単位で弾いてたのを見た時の衝撃ははっきりと脳裏に焼き付いていて、恐らくあの感動は一生忘れられない。

その迫力は単独で弾くのとは天と地くらいの差があり、三味線の音と言うよりも軍隊が行進するような力強い音で私はすっかりその合奏の虜になってしまったのだ。

藤秋会が現在大合奏で評価されるようになったのは、小山会という目標があったからで小山貢翁先生のおかげである。


つづく。

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秋田本部の今年の稽古も昨日で終わり、終了後にささやかな忘年会をしていただきました。

平日でしかも昨日は複数の方が職場の忘年会と重なっていて、例年より参加者が少なかったですが、やはり地元、気兼ねなくリラックスできとても楽しいひと時でした。

そして今日は早速移動、機上からの北アルプスの景色は絶景でした。




さあ、今年もあと2週間、最後の追い込みです。

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寒波の影響で今日も冷蔵庫状態の秋田。
一昨日、昨日と自宅の稽古で長い時間椅子に座ってるのは正直腰こたえます。

怪我から3ヶ月が経過して潰れた骨は固まった様ですが、潰れた影響は残りやはり元通りとはいかないようで、しばらくはだましだましになりそうです。

病気ひとつしたことのない人間にとって当たり前だと思ってた体が思い通りにならないのは流石に辛いですね。

つくづく健康のありがたさを感じてる今日この頃です。

今年は本厄、自分は大丈夫かな?なんて都合の良いように考えていましたが、やはりこの年には何かがある年なんですね。

長年の統計学からの結果ですから侮れません。
そして来年は戌年。

犬の皮を張った楽器で食べさせて頂いてる者として、お犬様に日々感謝をし、生類憐れみの令を自分に発布して、無事に後厄を乗り切りたいものです。

特に戌年の方とはトラブルにならない様に気をつけたいですね。


さあ、今日一日秋田本部最後の稽古を頑張ります!

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昨日から日本海側の寒波でとにかく寒い😨

日中の室内はポカポカにしてあるが、夕べ寝る時に暖房を切って寝たら今の部屋の温度は何と0度だ。

これは冷蔵庫とほぼ同じ温度。



やっぱり秋田は寒い!

ただ今6時8分、まだ外は真っ暗だ、

外ではピューピューと不気味な風の音が聴こえる。

今日も一日寒そうだ。


お稽古に来る人が気の毒だなあ。


あったかくして待ってましょう。

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