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★津軽三味線『藤秋会』家元★加藤訓の公式ブログ 2015年11月


京懐石【吉兆】と言えば知る人ぞ知る日本料理の有名店。

普段敷居が高くて中々行けない所だが、夕べお世話になってる方にご招待頂いた。

場所は名古屋駅のミッドランドスクエアの41階、この高さになると夜景は良く言われる宝石箱を散りばめたような、との表現がピッタリで、広い床の間付きの和室にゆったりと配置された客席からの眺めはまさしく至福の空間である。


感心したのは料理の味は勿論だが、一品一品の演出が素晴らしいこと。
同じ料理を出すにしても見事に工夫が凝らされており、ショーを観てる感覚でゲストに感動を与える。
これだったら高くても納得。


我々の目指してるショーに対する考え方と一緒でそれが完璧だ。

流石!である。
色々な意味で大変勉強になったが、一流と言われる理由を垣間見た気がする。

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私が三味線を始めたのが今から40年以上前。
譜面なし、録音はダメ、フレーズが確立されていないのでその都度どこか違っていて、折角苦労して覚えて行っても直されるなんてことはしょっちゅう。


それが現在はこれである。
アイホンで動画を撮るので帰ってから繰返し視ながら稽古出来るし、譜面も撥の運びまで記したとても解りやすいのが頂ける。

これで覚えられない方は正直、三味線を止めた方が良いかも。

若い方々の上達は目をみはるものがあるが、私が始めた時代にこれがあったら、私の腕ももう少しはましになったに違いない!


写真の皆さん、これで上手にならないと怒るよ!

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今年ももうこんな季節を迎えました。
毎年我が藤秋会では孫弟子、ひ孫弟子を私が直接指導する、名付けて【総見】という催しを暮れにかけて行っていますが、今年の総見第1号が、総師範筆頭の訓栄(さとえい)率いる訓栄会。


午前中からお昼を挟んで清須市民センターで稽古をし、夕方から名古屋伏見のお馴染み【上海美食】にて忘年会。
今年最初の忘年会です。


来年7月には訓栄会の20周年記念公演が名古屋市民会館で予定されているので、それに向かって団結するには良い忘年会になりました。

本部としても全面的にバックアップしますので頑張りましょう!

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協会の会議の為に前乗りをし、食事に行った所が浅草の【駒形どぜう】(どじょう)
 
 
昔浅草にいたころ、1回だけ行った事があるが、既にあまりに昔のことで記憶にない。
創業から215年と言うから、その歴史の長さには脱帽だが、どじょうは、さて?以前食べたのを思い出せないほど前のこと。
 
 
メインはご覧の鍋だが、ゴボウとネギをたっぷりと載せて頂くそのお味は中々いける。
蒲焼きと唐揚げも頂いたが正直、唐揚げは小骨がありいまいち。
好きずきがあるのでなんとも言えないが、私はあまり得意ではない。
 
 
歴史が長いだけにお客も良く入っていて、江戸情緒、浅草ならではの下町情緒を味わうには訪れる価値はある。
☆駒形どぜう
 
 
 
 

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仙北荷方節は県南の六郷町熊野神社の例大祭の宵宮におこなわれる、掛け唄として現在も8月23日に唄われるが、この唄に三味線を付けたのが浅野梅若師匠だと言われている。

唄の伴奏と言うよりかは唄の前奏曲と言った方が良く、秋田の三味線にしては珍しく躍動的なところが聞き応えがある。
唄そのものは上がり下がりがあって唄いこなすには非常に難しい曲だ。

つづく本荘追分は秋田を代表する名曲であり、梅若師匠が三味線を整えて今の形にしたと言われているが、この曲は一見単調で簡単に弾けるように思われるが、教えててちゃんと弾けるまで一番時間がかかるのが秋田の曲ではこの曲だろう。

まず、リズムが非常に難しく、単調な繰り返しのようだが、ほんのちょっぴりの違いが音に表すと極端に違うように聴こえるからたちが悪い。
全国大会などでも良く耳にするが東京の弾き方はどこか違和感がある。
一度現地に足を運ぶべきだ。


そして究極の秋田三味線と言われてるのが秋田荷方節。
この曲は北海道の北海荷方が原形だと言われているが、北海荷方よりも更に繊細で、高い技術を持たないと弾けない曲。

浅野梅若師匠の秋田荷方節は繊細かつ華麗で流れるような旋律。
まさに立て板に水を流すが如くなめらかであり秋田三味線を代表する曲だ。

若者はとかく津軽三味線に走りすぎるが、我が秋田にもこんなに素晴らしい秋田三味線と言われる名曲がある。

是非津軽三味線だけではなく秋田三味線もお忘れなく!

おわり

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浅野梅若の名前は前から知ってはいたが、実際にお会いしてお話が出来たのは昭和55年の秋だから、今から35年前にさかのぼる。

東京浅草の民謡会館、七五三から秋田に帰り、秋田市内の民謡酒場にいた時に仕事の電話を頂き横手の市民会館でご一緒したのが最初である。
師匠はまだ駆け出しの若造だった私にも笑顔で優しく接して頂き、その後もお会いする度に遊びに来いと必ず声をかけてくれた。

私が大先生の人柄を論ずることはおこがましいことだとは思うが、それほど誰にも分け隔てなく接してくれる、とても愛情溢れる立派な方だったと思う。
そんな優しい先生でも当然ながら芸には厳しく自分の芸にも決して妥協を許さない方だったと聞く。


秋田の民謡に付く三味線の元はそのほとんどが梅若師匠が確立したと言っても過言ではない。
曲調は繊細で津軽三味線とは対照的。
特徴は津軽三味線の様にあまり叩かず、二の糸の開放絃を絡めながら唄を殺さないような弾き方をする。

その代表格が名曲、秋田荷方節だろう。
その他、仙北荷方節、本荘追分なども秋田三味線の名曲と言えよう。

それではこの3曲を分析してみよう。

つづく。

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津軽三味線には以前何度も触れてるようにその発祥は明治の初期で、青森県北津軽郡神原村(旧金木町、現在の五所川原市)の盲人、仁太坊が始祖と言われてるが、当時の津軽は厳しい環境と度重なる飢饉で盲人が生きて行く環境にはかなり厳しかった。
生きる為にはただひたすらに聴衆受けする演奏をしなければ、それは死に繋がることを意味したのだ。

それゆえに仁太坊は研究に研究を重ねて現在の津軽三味線の元を作り上げた。


それでは隣県秋田の秋田三味線の成り立ちはどうだったのだろうか?
秋田三味線を確立したのは名人位で昭和56年に、勲五等双光旭日章を受章した故、【浅野梅若】師匠。

師は明治44年生まれで、津軽三味線隆盛に大きな貢献をされた一つ違いの【高橋竹山】氏とは津軽三味線と秋田三味線の両雄として良くテレビなどで取り上げられた。
ちなみに竹山氏も昭和58年には勲四等瑞鳳章を受章している。
今でこそ変わって来たが、師匠達が苦労した若かりし頃の民謡人の社会的地位は決して高くなく、むしろ逆だった。
その両氏が叙勲の栄に浴することは我々後輩民謡人にとっては真に誉れであって、その朗報は我が事の如く嬉しかった。


梅若師匠は村に巡業に来た金浦町の高力市太郎の三味線に魅せられて、高力氏に弟子入りしその後各地の一座で修行を重ね、後に秋田三味線名人位の地位を確立する。
梅若の梅の字は、津軽三味線の名手として名を馳せた【梅田豊月】に師事したことから付けられたと言う。

さあ、それでは秋田三味線の代名詞とも言われる浅野梅若師匠とはどんな人物でどんな三味線だったのだろうか?

つづく

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津軽三味線と聞けば激しくアップテンポで即興的でjazzに似ているなんて良く言われるが、隣県である私が住む秋田には【秋田三味線】なるものがある。

えっ?秋田三味線?
それってどんな三味線て言われそうだが、津軽三味線が余りにもメジャーなので、三味線をやってる人でもあまり良くわからない人が多い。

青森の隣県でありながら秋田の民謡はがらりとその曲調が違う。
一言で言えば、津軽の民謡が男性的なのに対して秋田は女性的とでも言ったらわかりやすいだろうか。

津軽を代表する五大民謡と言えば、じょんから節にはじまり、よされ節、おはら節、三下がり、あいや節とある。

どれも独創的で激しさがあるが、対して秋田民謡は、秋田おばこ、本荘追分、秋田おはら節、秋田船方節、生保内節など、わりとゆったりとした曲調のものがほとんど。

隣県なのに何故にこんなに違うのかと言えば、気候風土は勿論、環境や県民性に依るところが大きいだろう。

三味線は元々は伴奏楽器なので民謡の曲調に依って三味線の奏法も変わって来るのが当然で、津軽民謡が激しいから当然三味線も力強く、対して秋田の民謡はおっとりとしたものが多いのでそれに付く三味線も優しい感じになるのである。

日本の民謡の三味線で〇〇三味線と冠が付くのは津軽三味線と秋田三味線くらいで他にはあまり聞かない。

それでは具体的にどこがどう違うのかを次で考えてみたい。

つづく

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久しぶりの名言。


☆ 【良薬は口に苦けれど病に利あり。忠言は耳に逆らえども行いに利あり。】


人の忠告に常に耳を傾ける気持ちを持つことは間違った判断をしないことにつながる。
この名言を若い時からしっかりと戒めれば私の人生も変わっていたかも知れない。


良い歳になって思うようでは駄目だろうが、今更のごとく思う今日この頃です。


大切にしたい言葉ですね。

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ご覧の写真は名古屋駅の名鉄のホームだが、上の方を見て頂くと色分けされて行き先が表示されている。

非常に珍しいのはこの色分けしたパネルの所でそれぞれのドアが開くようになっていて、乗る位置には足元にパネルと同じ色でラインが1メートル幅ほどに引かれている。
その間に並んでるとぴたりと電車のドアがそこに来るのだ。


つまり電車は行き先毎に停まる位置が違うことになるが、全国を歩いていてもこのようなシステムを取り入れてる駅は記憶にない。

そこで不思議なのは毎回停まる位置が違うのにどうやって運転士は寸分狂わなくぴたりとそこで停まることが出来るのだろうか?
素朴な疑問だが、おそらく自動制御でなければあれほど正確には停まれないだろう。

はてさて?何とも不思議だ。

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