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★津軽三味線『藤秋会』家元★加藤訓の公式ブログ 2015年05月04日
総師範の訓成(さとなり)が我が家に内弟子として来たのが昭和63年の3月。
内弟子に来る話は実は急に決まったことで、当時、高山市から富山市の教室に通って来ていた訓成の父親と飲んだ時に娘を預かってくれと言われた。
突然の話であり、ちょうど家内がお腹が大きく、娘が産まれる時だったのでかなり迷ったが、色々考えた挙げ句に受け入れることにした。

高校受験のこともあり、とにかく急がなければならず、訓成が秋田に初めて来たのは62年の暮、家内の入院先である病院にだった。
それから数日した12月16日に娘が産まれた。翌年3月に我が家に来た訓成はほっぺが真っ赤でまだあどけさの残る中学を終わったばかりの15歳。
親の言い付けとは言いながら良くまあ、全く知らない他人の家に来たものだと感心するが、それから3年間我が家から毎日自転車で市内の高校に通うことになる。

今にして思えば家内にしたら、子供が一気に二人増えたことになるので大変だったろう。

そして62年、高校2年の12月名古屋大須の教室に会員に連れてこられて習うことになったのが総師範の訓栄(さとえい)。
それまで細竿をやっていた訓栄は、津軽三味線に取り付かれた様に夢中になり、進路を悩んだ挙げ句に決断したのは秋田に来て内弟子になること。

父親は大学に進学を勧めたが、一度これと決めたら芯があり中々曲げないところがあり、結局我が家に来てしまった。


訓成は学校に通いながらの修行なので仕事に連れて行くことは少なかったが、訓栄は多くの秋田の民謡人に可愛がられ、内弟子生活は大きな財産になったはず。

娘は生まれてから物心つくころにすでに二人が我が家にいたので、弟子上がりして我が家からいなくなってからも、しばらくは本当の兄弟だと思っていたらしい。

あれから長い年月が経ち、訓成は二人の子供をもうけ岐阜県高山市を地盤に、訓栄は子供が高校生になり名古屋を基盤に岐阜県、三重県にも教室を展開、私の両腕として藤秋会発展の為に頑張ってくれている。


つづく

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