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★津軽三味線『藤秋会』家元★加藤訓の公式ブログ 2013年12月
創流から33年目、スタートした地、秋田の大晦日は去年とはうって変わって穏やかな朝を迎えています。

今年は今までにないほど熱く燃えた藤秋会でした。

振り返れば(一般財団法人)日本郷土民謡協会53年の歴史で初となる『団体技能最優秀賞』を2月に戴き、民謡界の歴史を塗り替えたビックショウ、5月の『藤秋会夢舞台2013』の大成功!


11月の『富山城端座公演』
同じく11月の『岐阜県可児市公演』

12月の『岐阜県各務原市公演』


コンクールでは、7月四国は高松で行われた『津軽三味線さぬきフェスタ2013』

10月秋田県横手市で行われた『秋田民謡全国大会秋田荷方節三味線コンクール』

同じく10月の『津軽三味線全国大会in神戸』
12月の『津軽三味線大阪大会』と目まぐるしい1年になりました。

結果、公演は全て満員御礼大成功!
コンクールも全て制覇!秋田荷方節コンクールにおいては昨年の訓栄に続いて2連覇!しかも1、2、3位独占とまさしく藤秋会の為にあるような1年でありました。

そして大きな目標に掲げた『全国大会30勝達成』は、団体技能最優秀賞が伊達でなかったことを証明出来ました。


ここまでやり遂げた背景には会員のたゆまない努力と支えてくれたご家族、ご支援戴いた多くの皆様のお力添えがあって成し得た事。
この場をお借りして厚く、厚く御礼申し上げます。


さて、来年はどんな年になりますか?
早速、昨日お年玉になりそうなビックなお話が舞い込んで来ました。

何だか今年を凌ぐ大変な年になりそうな予感がします。

藤秋会は会員が団結一丸と成り、更なる飛躍を目指し頑張って参ります。
どうか来る年も変わらぬご支援、ご鞭撻を何とぞ宜しくお願い申し上げます。


来年が皆様にとりまして良い1年でありますように。

良いお年をお迎え下さい。


感謝。

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いつまでも若くありたい、不老は万人の願いであり人間永久のテーマ。

先日、訓京会の孫弟子稽古後の忘年会の席で、この方に失礼ながら年齢を聞いてみた。
だいたいは知っていたが、彼女の答えは昭和11年生まれ、満77歳だと言う。
何故、歳を聞いたかと言えばいつお会いしても肌つやが良く、顔にシワが無い。

きっと何か秘訣があるのだろうと思ったがやっぱりあった!

あっ!申し遅れましたがこの方のお名前は岐阜県関ヶ原町にお住まいの訓京会の京美(きょうみ)さん。
雅号に美の字がついてるので美しいのは納得ですが、やっぱり秘伝がありました。

その秘伝とは京美さんは毎日顔を洗うのに『米のとぎ汁』を使っているそう。
とぎ汁を冷蔵庫に保存して使っていると言うが、なるほど米だから良さそうな気はする。

このお歳で顔にシワが無いのだからどんな洗顔クリームよりも効果があるのではないだろうか。


是非是非、若くありたい方はお試しあれ。

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津軽三味線のスタイルは年を追うごとに段々と変化して来て、そのスタイルも様々。

コンクールを観ればソロ演奏はさほど変化はないが合奏にいたっては大きく変わりつつある。
昔の合奏はまずは複数で合わせる為にユニゾンが主流だったがここ何年かは、特に師匠の年齢の若いグループは和音を多様してる所が非常に多くなった。
先日の大阪大会でも10グループ中半分以上が和音で演奏している。

私もこの世界では古い部類に入ってきたので本来はユニゾン派だが、時代に流されながらも最低限しか入れてない。
何故なら、確かに和音は綺麗には聴こえるが、あくまでも津軽の音、津軽の風土を連想させるのが津軽三味線の定義だとの思いが強く、和音を駆使した音はどことなく違和感を覚える。


和音での演奏は綺麗には聴こえるし、音楽性は高いかも知れないが、そこから『津軽』は連想しづらく津軽三味線とは言えないような気がするのだ。

それは津軽三味線ではなく単なる太棹三味線の演奏であってどこか別物のような気がしてならない。
心配なのは今後審査員が段々と若返って行くに連れ、素朴さよりも音楽性を重視して行けば段々とオーケストラのような楽曲になって行くことを懸念している。

年寄りの戯言と思われるかも知れないが、津軽三味線とは永久に津軽を想像できる人々の琴線に触れる音楽であって欲しい。
そこには霊峰岩木山が見え、一面のりんご畑があり、そして厳しい冬も見える。
更には津軽弁や人々の息遣いまでが感じられる。
そんな音楽が津軽三味線であって欲しいし、私はこの先もそんな津軽三味線を追求して行きたい。


最後に30勝と言う長い長い道のりを共に歩んでくれた会員に心から感謝し、スタンディングオベーションで拍手を贈りたい。


おしまい

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津軽三味線が若者の心をとらえ年々盛んになっていることは大変喜ばしいことだ。

昭和57年全国に先駆けて弘前市で開催された津軽三味線全国大会も、現在では青森県内3ケ所、東京、名古屋、大阪、神戸、高松、熊本、更に今年から滋賀県でも開催される隆盛ぶり。


藤秋会は日本郷土民謡協会全国大会器楽合奏20勝とそれらの大会も含め今年6月の段階で全国大会27勝。
予定では再来年の会創立35周年まで30勝を目標に掲げたが、勢いのあるうちに成し遂げたいとの思いから、無謀にも年内達成することに軌道修正。


7月の高松大会、10月の神戸大会、そして先日の大阪大会でついに30勝達成!

藤秋会は平成9年から今年までの17年間で本隊が出場した23回の全国大会で何と17年間負けなし、23戦23勝!
勝率100パーセント。
これは単なるほら話ではなく驚異的な成績だ。

それでは何故勝てたのか?

要因は色々あるが会も創流33年と長くなり会の層が確実に厚くなったこと。
先日の大阪大会を見ても藤秋会61名に対し2番目に多いところは20名、ほとんどは10名以下である。
しかも藤秋会は行事等で出演できなかった人がかなりいたので今回の曲だったら100名でも出場が可能、いわゆる層の厚さから選抜して行けば当然ながら質の良い演奏に繋がる。

合奏は人数が多くなるほど音圧と迫力がある半面、合わせることも人数に比例して難しくなる。
ここまでになったのは先日のブログでも紹介したように10年間、歌謡界のトップスター、五木ひろしさんの舞台に出演させて戴いたことが大きい。

200公演を超えるのステージは延べ12000人以上が出演、多くの事を学ばせて戴き確実に団体としての力をつけることが出来ました。これがなければ現在の力はついていなかったでしょう。

感謝、感謝、感謝です。


つづく

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東京の稽古で昨日今年の教室は全て終了。

昨日は33回目の泰山会例会、今年を締めくくる忘年会を栄の中華料理、天山で行った。
3年半前に、たまたま旅行で中国の名山、泰山(たいざん)に登ったのがご縁でその後毎月例会を行って早33回にもなった。
皆さんには藤秋会の行事にも大きなお力添えを戴き、もはや家族のよう。


さて、来年はどんな年になるかはわからないが干支は午年。
駿馬の如く勢いを持って駆け抜けたい。
泰山会の皆さんの変わらぬご支援ご鞭撻を宜しくお願い致します。

今年一年ありがとうございました。
そして皆さんにとって来年が良い年になりますように祈念致します。

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昨日はパーティーが二つ。
昼11時半からウエスティン名古屋キャッスルで、色々お世話になった、駐名古屋中国総領事館館長『張立国』総領事の離任式に出席。
4年3ケ月の任期を満了し来月本国にお帰りになる。

張総領事ご夫妻には昨年新年会にもご出席戴き、私の店、上海美食にも何度もお越しいただいた。
物腰が柔らかく温厚なお人柄で、誰からも信頼の厚かったお方です。
本国に帰られてもお元気でご活躍されますように。



そして夕方に群馬県高崎市のホテルで、藤秋会公演のレギュラーとして活躍戴いてる尺八名手『佃 康史』さんが、10月に日本武道館で行われた日本郷土民謡協会全国大会において受賞した尺八部門グランプリの祝賀会があり、お招き戴き出席致しました。

祝賀会は6時から、100名ほどのお客様ご出席の中、和やかな雰囲気で進み、アトラクションでの佃ワールドは流石グランプリだけあり、素晴らしい演奏の数々で十二分に堪能させて戴きました。

今後の更なるご活躍をお祈り致します。


さあ今年も残すところあと5日。
今日は今年最後の東京教室、しっかりと締めくくります。

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津軽三味線の始祖と言われた仁太坊の音源は残念ながら存在しない

そのことを大條先生に伺ったら、坊様と下げすまれた人の三味線など、誰も録音しようなどとは思わなかっのだろうと言われた。

時代も悪かった。
仁太坊は幕末安政5年、1857年に生まれ昭和3年に71歳で亡くなっているが、もう少し後に生まれていたら確実に音源が残っていたはずだ。
三味線界で大活躍したと言われる『梅田豊月』は仁太坊と同じ青森県金木町の生まれ。
尊敬してやまない秋田三味線の名人、浅野梅若先生が習ったと言われる人物で明治18年生まれ、音源はきちんと残っている。


それでは仁太坊はどんな三味線を弾いた方なのだろうか??
大條先生は仁太坊の直弟子、『長尾邦正』氏が直接仁太坊から習ったと言うフレーズを伝承しているが、これは基本曲のような簡単なものだ。
私が大條先生に、仁太坊の弟子で津軽三味線の神様と言われた故、『白川軍八郎』氏は今でもそう簡単には真似の出来ない素晴らしい三味線だったことから想像すれば、師匠である仁太坊もおそらく弟子の軍八郎氏の様な三味線を弾いていたのではないかと言ったら、先生はう~ん、と大きく頷いた。


軍八郎氏は仁太坊の角付けに毎日同行してそのフレーズを聴いていたはずだから、自然とそのフレーズが体に染み付いて、自分でそのフレーズを勉強したはず。
弟子は師匠に似るもので、軍八郎のフレーズは仁太坊のコピーだった可能性が高い。
仁太坊の演奏した音源が無い以上想像の域を出ないが、きっと、きっとワクワクするような津軽三味線だったに違いない。




講演から一夜明けた昨日、初めて名古屋を訪れたと言う奥様、そして名古屋には昔来たことはあるが、名古屋城には行ったことがないと言う先生ご夫妻を名古屋城にご案内した。
ちょうど、本丸御殿がだいぶ出来上がっており、中を見学出来たことが印象に残ったらしく、たいそう喜んで戴いた。


そして名古屋空港に家内とお送りし色々な興味深い話を伺ったが、最後のお別れの時、先生はお世辞だったかも知れないが、今回の旅は85年の人生で最も思い出深い旅になったとおっしゃってくれた。

感無量である。
津軽三味線の始祖、仁太坊の名誉を回復する為に生涯を捧げた大條和雄先生の思いはきっときっと、黄泉の国の仁太坊に伝わったと信じたい。


そして先人の血の滲むような辛苦の上に我々が津軽三味線を弾ける事を決して忘れてはならない。

大條和雄先生、本当に、本当にありがとうございました。


感謝

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津軽三味線をかじる人は決してこの人を忘れてはならない。

津軽三味線の始祖は今から150年ほど前に誕生した角付け芸人。
この人達を津軽では坊様(ぼさま)と呼んで下げすんでいた。
しかし、その坊様が産んだ音楽は今や津軽三味線と言う名前になり、世界中から絶賛される日本を代表する音楽になっている。


そしてその誰もが避けて通った坊様の歴史を半世紀にわたり調べあげ、世の中に出した方が津軽三味線生涯一のかたりべ、青森県弘前市在住の『大條和雄』先生(85歳)だ。


今から20年以上前にどうしても先生のお話を直接聞きたくて極寒の2月、秋田から弘前行きの汽車に乗った。
あいにく、その日は猛吹雪で大雪風雪波浪注意報が出てた日。
案の定、朝出た汽車は県北の大館で立ち往生、弘前に着いた時は日もとっぷりと暮れていた。
それでも悪い顔一つせず歓待してくれ、酒を振る舞ってくれたその時の事が忘れられずずっと心の中に残っていた。


あれから20数年経ち、やっとささやかな御礼をすることが出来た。
昨日名取会の納会に名古屋に奥様と共に御呼びし、語ってくれたお話は藤秋会の宝物としてそれぞれの心の中から永久に消えることはないだろう。


大條先生、本当にありがとうございました。

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かなりハードかなと思いつつもやれるうちにやっておきたいと、自分達を試すかのように精力的に挑んだ今年の藤秋会。


昨日の岐阜県各務原市文化ホール公演、『絃魂津軽三味線』が今年最後の公演となりました。
9時に楽屋入りだったので6時に高岡のホテルを出発。
途中、白川郷から岐阜大和のあたりまで積雪によりあまり走れない。
こりゃあ間に合うかなと心配したが、15分前には会場に到着した。

既に会員は楽屋入りしており早速リハーサル開始。
メンバーは藤秋会が三味線27名、いつものレギュラーゲスト陣、中村仁美、水野詩都子、佃康史、田吾作隆一、そして朗読の会、夏の会の皆さんに、司会が加藤愛子。

先月、可児市で好評だった公演なので、絶対喜んで戴ける自信があったが本番で大トラブル発生!

1部の開幕前導入BGMが始まった瞬間、目の前から出てたモニターの音が突然切れた。

あっ!モニターが切れた!と監督に伝えたら、えっ!
突然の事で裏方が大慌て。
さあどうする。
幕があくまで2分しかなく短時間では原因がわからない。
さあ困った!
合奏はモニターが死んでしまうと致命傷で、演奏している音が返って来ないとバラけてしまう。


もう時間が無い。
仕方なくそのままスタートしたが、この日はしっかりと演奏出来るメンバーを揃えたので、演奏は問題無し。
ほっと胸を撫で下ろし『仁太坊物語り』に移った瞬間、1番下手にいるナレーターのマイクが入ってない。
しかも、バックに映るはずのプロジェクターの絵が映ってない。


これにはまいった。
このドタバタで満員の客席もざわついている。
しかも裏方が焦ってしまってる様子が上手の朗読のマイクに拾われて客席にまるわかり。
監督が止めてやり直ししようかと言ってるがそんな格好悪い事は出来ない。
ナレーターは、上手の朗読者のマイクにとっさの判断で移り、プロジェクターも動き出したので、そのまま続行、何とかその後は順調に行ったが、折角良い仕上がりを確信していた1部が残念な結果になってしまった。

数々の公演を手掛けて来たがこんなトラブルは初めてである。
休憩で原因を調べたら、一つは人為的ミス、もう一つは会館が古い為、機材の不具合。
そんな事を言われても1番迷惑なのはお客様、そして演じる我々だ。


気を取り直し2部は司会が上手く1部のお詫びをし、お客様を和ませ良い雰囲気。
ミスもなくスムーズに進行し終演。
大きな拍手とお客様の表情からして1部のハプニングは帳消しされているように見える。

前代未聞のハラハラした公演だったが、お客様からのアンケートを全てチェックした訓音(さとね)からの報告では、今までの会館自主公演で最も良かったとの声が沢山あったそう。


終わりよければ全て良し!失敗は成功のもと。
トラブルもありましたが、これも勉強、世の中想定通りに行かないこともある事を実感、次に活かしましょう。

これで今年の公演は全て終了。
皆さん、本当にありがとうございました。


そしてお疲れ様でした。


(写真はリハーサルの模様)

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昨日は富山県高岡藤秋会所属の訓政会、訓芳会、訓若会、それに岐阜県高山市の、訓成会も合流し孫弟子総見。


先月10日の富山城端公演が絶賛された事で皆さん更に勉強意欲が強くなったよう。
もうすぐ富山県に教室を開設してから32年を向かえるが、思えば随分長くなったものだ。
そんな昔話を思いだしながらの忘年会はなんとも味わい深く、絆をしっかりと再認識出来た時間。


ゲストでお迎えした元富山県議会議長、横田先生のご挨拶では忘年会ではなく来年に向けた望年会にしようとの熱いお言葉を戴き、志を新たにしたしだいです。

来年も皆さん宜しくお願いします。


さあ、今日は今年最後の公演、岐阜県各務原市の会館主催公演。


しっかりと締めくくります。

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