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★津軽三味線『藤秋会』家元★加藤訓の公式ブログ 2013年08月

昨日新大阪駅に下りて改札に向かって歩いていたら、本屋の入口に山積みされているこの単行本が強烈に目に飛び込んで来た。

あっ!半沢直樹だ!
考える間もなく私はその本を掴みレジへ。
原作本は岐阜出身の池井戸 潤氏が書き下ろした、『オレたち花のバブル組』150万部の
ベストセラー。


前作に続き主人公、半沢直樹が東京中央銀行本店営業第二部営業次長に昇進してからの物語で、まさしく今テレビでやっている伊勢島ホテルの問題に立ち向かう場面が描かれている。


毎回楽しみでしょうがなく明日の9時が待ち遠しいが、買ってはみたものの見てしまって内容がわかってしまっては明日の楽しみが半減してしまうので、あとでゆっくり読むことにした。


持っているとどこか安心感がある。
世の中いつ何が起きるかわからない。
何かが起きて明日の放送が延期になるかも知れない。
18日に指折り数えて楽しみにしてたら、世界陸上で放送が無し。
一週間延期になった時はテレビ局を本当に恨んだ。
ちきしょう、TBS、俺の楽しみを奪ってこの恨み1000倍返しだあ!


そうだ!この本はそんな時に見る保険みたいな物だと考えよう。
何を言ってるのか自分でも良くわからないが、明日無事に放送されますように。


俺の頭は今、半沢直樹中毒にかかっているようだ。

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10月5、6日に秋田県横手市で行われる第5回秋田民謡全国大会に我が藤秋会から10人が出場する。

5日の唄部門には秋田の高橋實と訓音が共に秋田荷方節でエントリー。
実は二人は翌日の浅野梅若旗争奪、秋田荷方節三味線コンクールに出場する選手に、前日伴奏する機会を与え舞台に慣れて貰おうと荷方節を選曲、援護射撃をするという何とも涙ぐましい兄弟弟子思いの作戦なのだ。

いきなりコンクールで演奏するよりも事前にお客を前にして弾くことは緊張感を和らげ大きな力になるはず。


5日の三味線コンクールには昨年度のチャンピオン、タイトルホルダー、訓栄(さとえい)の披露演奏から始まりコンクールがスタートするが、先日事務局からそれぞれに出演順が送られて来た。


出演者は41人。
我が藤秋会の出演順は、訓音、7番 訓成、11番、 訓信、13番、 柴田浩行、18番、 栄知、22番、 訓江 31番、 正木啓太、36番、 訓煌、40番となっている。


一昨年、昨年の準優勝者、訓音と4位訓成の出番が早いのが気になるが、まあしっかりした演奏をすれば優勝に絡んで来るはず。

大学生で青年部リーダーの正木啓太と鹿児島の高校生、訓煌(さとこう)の技術の延びが著しいし、順番も良い位置にいるのでどこまで上位に食い込めるかが見物。


あと1ヶ月、最終調整をしっかりやって悔いのない演奏をして戴きたい。

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4月に実施された小中学生228万人が参加して行われた全国学力テストで今年も我が秋田県の子供達がトップ。

小学生は4教科でオール1位。
中学生は国語A、国語Bで1位、数学Aは福井と同率2位、数学Bは2位で小中合わせて堂々の1位を獲得!


別に私が1位になった訳ではないが郷土の後輩の奮闘は誇らしい。確かこれで6年連続1位。
では何故秋田の子供達は成績が良いのだろうか?
以前にも触れたがこんなデータがある。


プラス要因。

持ち家住宅敷地面積や持ち家率。

共働き率

米生産量。


マイナス要因として。

父子、母子家庭率。

学校給食費滞納率

核家族率。


面白いデータだが、子供は自分が愛されているという感覚が成長する上でとても大事だそうだ。

秋田はまだまだ都会と違い複数世代が同居している家庭が多いので、子供の周りにはいつも誰かがいる。
ようするに昔の生活スタイルがまだまだ残っているのが子供の成長には良いらしい。


米の生産量というのは良くわからないが以前、種苗交歓会に行ったら秋田県の子供達の学力が高いのは朝しっかりとご飯を食べて行くからだと書いてあった。

ブランド米で知られる秋田こまちのキャッチコピーは『美人を育てる秋田米』だが、『頭が良くなる秋田米』も付け加えた方が良いかも知れない。


そして1番の要因は秋田県は早くから少人数制を取り入れていることで教員の目が届きやすく、自習もきちんと行われる環境で学級崩壊がない。


しかしながらこれだけ成績が良くても7割が塾に通っていないし、大学進学率は全国で37位と低いのだ。


原因は雪国であるハンディから産業が少なく、所得の低さで秋田は全国で下から数えてすぐのところにだいたいいる。
関連して自殺率が第一位とあまり喜ばしくない結果も出ている。


子供達がこんなに優秀なのだから、その辺が少しでも改善されるよう秋田を担う子供達に期待をしたい。

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ここ何日か、浅草七五三時代の昔話を載せたら、昔話大好きですとのコメントを戴いた。

日曜日に東京で青森民謡協会の大会があったそうで、総師範、訓音(さとね)の門下生12名で勉強に行って来たとメールで報告があった。


そこで驚いたのは、昔七五三時代に大変お世話になった三代目、長谷川栄八郎先生が94歳にして現役で歌われてた事を知ったが、なんともたいしたもんだ。それもかくしゃくとして、堂々たる歌いっぷりだったと言う。


当時、私はやっと津軽三味線をピコピコ弾いてた時代で悪戦苦闘の日々であったが、私が在籍してたほとんど毎日、三代目先生は七五三に通ってくれ毎日伴奏させて戴きました。


計算すると三代目先生はその頃丁度59歳だったはずだが、楽屋では決して賑やかな方ではなく、じっとした落ち着きのある方でした。

唄は勿論、三味線も一度は二代目木田林松栄の名跡を継いだだけあって、楽屋で様々なアドバイスを戴きました。
興行時代の色々な話をして戴きましたが、今でも印象に残ってる話は、若いときは随分とモテたそうで、東京に出て来た当時たまたま仲良くなった方が、その筋の方の女性で、その事が発覚し監禁され、その時は流石にこれで終わりだと覚悟した話を私に教えてくれたこと。
あまり詳しく書けないが、リアルティーな話ぶりに思わず固唾を飲んで聞いたのを覚えています。(もう時効だから良いですよね)


藤秋会で津軽願人節をいち早く合奏曲に入れたのは、実はこの曲は三代目先生が作詞、レコードに入れた物で、歌うから覚えろと言われレコードを戴いて覚えたもの。
早速覚えたら良く舞台で歌ってくれました。

10年ほど前に武道館の全国大会でお会いした時も随分お歳のはずだったのでまさか、今でも現役で舞台に立っているとは驚きである。

いつまでもお元気で頑張って戴きたい方だし、昔を語れる芸人が段々と少なくなって行く中で大変貴重な民謡界の宝であります。


今はほとんど見かけることがなくなりましたが、昔は金歯を入れるのがおしゃれな時代だったそうで、笑うと金歯がズラリと眩しく輝いていました。

ああ懐かしい。


いつまでもお元気でご活躍下さい。

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七五三から一番近いところ、わずか1分ほどの所に、『民謡茶屋あいや』があった。
現在津軽三味線でその名が知られている工藤武さんの、お母さんの工藤君枝さんの店でここには、五錦竜二さん、福士豊秋さん、福士由美子(二代目成田雲竹女)さん、後に山田百合子先生が経営を引き継ぐようになって木乃下真市さんなどもいた。


反対方向で一本筋の違うところに『秀子』があった。
店主は秋田出身の日影寛悦さん。
ここはほとんど秋田の方々で秋田甚句の太鼓踊りなどが有名で、看板は店主のお嬢さんの日影祐子さん。
唄は勿論だが典型的な秋田美人でフアンも多かった。
秋田の方が多いせいか良くここへは店が終わってから通った。

そしてもう一軒、忘れてはならないのが『民謡の店みどり』。
ここは七五三から反対の花園通りにあり歩いて10分ほど。
店主が現在も民謡界の大御所として活躍する佐々木貞勝先生、奥様が小松みどり先生。
両先生とも秋田出身で従業員もほとんどが秋田の人。
従ってお客さんは秀子同様秋田の人が多かった。
故郷の話で酒を飲む事に幸せを感じた時代である。


みどりのすぐ近くに『追分』があり、吉田兄弟もここで修業した。ここは現在でも若い津軽三味線奏者の修業の店として盛況に営業している。


その他、みどりから暖簾分けした『小梅茶屋』、小笠原久美子さんの『小笠原』、名前は忘れたが高谷左雲竹さんの店。
上野には、佐々木光儀さんや、お弟子さんで、細川たかしさんの専属として活躍している佐々木光康さんがいた『浩司会館』。


津軽手踊りの村上勇信さん経営の『鶯』。
ここのマスターには本当に良くして戴いた。

そして七五三から歩いて5分ほどの所にコミック舞踊でお馴染みだった松竹一郎さん経営の『松竹』などは、民謡酒場が閉店後の民謡人のたまり場だった。

民謡酒場として現在も浅草で営業している店は、みどり、追分、小梅茶屋の三軒。長きにわたって日本の復興と繁栄を支えた労働者のオアシスだった所。

遠い昔の想い出ながら私の原点がそこにある。
長く続いてほしいと願うばかりだ。


おわり

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名古屋からのお客様、昨日はみちのくの小京都として名高い角館を午前中に訪ねました。
一年ぶりに訪れましたが年間200万人が来るだけあってか、行く度に町並みが整備され違う表情を見せてくれます。


角館の最も良い時期はなんと言っても自慢の枝垂れ桜が咲き誇る花見シーズン。
皆さんには是非その時期にまた訪ねて戴きたいです。


お昼頃に我が家に来て食事をとって戴きましたが楽しい時間はあっという間に過ぎ灼熱名古屋へ向け機上の人となりました。

二泊三日の短い旅でしたが皆さんご満足されたようでほっと胸を撫でおろしています。


さあ、今日からは現実に戻り頑張ります!

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昨日第87回大曲花火競技大会が行われ、名古屋からの14名をご案内。
例年だとかなり渋滞するので早めに出たが珍しいくらいスムーズで4時半には大曲入り。
既に物凄い観光客の数。


一昨年好評だった特別席、料亭川端の屋上で懐石料理に舌鼓をうちながらの鑑賞。
途中20分ほど雨に降られたが、ご馳走を食べた後でしたし、さほど酷くもならず、皆さん世界一の大パノラマ花火を満喫。
やっぱりよそとは全く違うと驚きと感動で大満足の様子。


中でも競技の合間にあがる、大会提供花火にはそこまでやるかと半ば呆れ顔。
事前にBSプレミアムで生中継されるのを録画して戴くようお願いしたので帰ってから二度楽しめそうだ。


そして皆さん喜んだのはとにかく涼しいこと。
地獄の名古屋から解放され皆さん秋田を満喫している。
今日はいよいよ最終日、午前中に、みちのくの小京都として名高い角館をまわる。

現在の気温は23度。
お天道様のご機嫌も宜しく今日も楽しんで戴けそうだ。

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昨日から三日間の予定で名古屋からお世話になっている方々14名様が秋田を訪れている。
お目当ては今日行われる今や世界一の花火と言われている大曲の花火。

一昨年来た方々があまりの素晴らしさにアンコール。
今年は第87回全国花火競技大会で全国の優秀花火師がその技術を競いあう全国で最も権威のある大会だ。


初日の昨日は男鹿半島を巡り、入道崎で海鮮料理に舌鼓、なまはげ館を見学後、秋田市内に帰りホテルにチェックイン。

7時から郷土料理の第一会館で会食。
前回大好評だった、浅野梅若社中の民謡ショウを堪能。
二次会はお馴染み民謡日本一、浅野孝子さんのお店でカラオケタイム。


朝早くからの移動と遅くまでのスケジュールでお疲れが出てないか心配ですが、心配された天気も毎日願掛けした効果か今日の花火の時間はなんとか持ちそうだ。

世界一の花火を満喫して戴きたい。

なお、よる7時からBSプレミアムで生中継されるので是非ご覧戴きたい。

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お盆が過ぎても涼しくならなかっ秋田だが、やっと今朝は肌寒いくらいで、例年並みになってきた。
今日から三日間の予定で名古屋から日頃お世話になっている方々が大曲の花火に来る。
つかの間でも地獄の暑さから解放してあげたいが、この調子だと大丈夫そうだ。
問題は雨、花火の時期になると必ず荒れるので、せっかく来てくれるのだから雨だけは避けたい。


さて先日、山田百合子先生の話を載せたら、名無しさんと言う方から、昔の話大好きです。とのコメントを戴いた。
今日は記憶をたどって私がいた当時の浅草にあった民謡酒場のお話をしたい。

終戦後の復興、オリンピック景気で東京には全国から多くの労働者が駆り出された。
30年代になりそれまで一座を組んでどさまわりをしていた東北の芸人達はこぞって東京へ出て行ったが、落ち着き先は、郷土の匂いを求めて労働者が疲れた心を癒しに来る民謡酒場。


私が民謡会館七五三に入社した53年当時はかなり減ったとはいえ、店から歩いて10分くらいのところに10軒はあったからまだまだ賑やかだった。

民謡酒場に入社とは、んっ?と思われる方もいると思うが、七五三は株式会社で民謡酒場と言うよりは劇場と言った方が良いくらいの規模で、舞台の後ろが全面ガラス張りで豪快に滝が流れ、しかもライトアップされていて、おまけに生バンドまで入っていたから、演芸ホールとでも言った方が似合ってる所。
しかも専属の下足番が三人もいて、お客様が来るとマイクでご来店した旨を中の中居さんに知らせるシステム。


そんな七五三は一時期はとバスのコースにもなっていたし、何とオランダのユリアナ女王がいらした事もあるくらいだから、同じ民謡酒場でもここにいるのが一種のステータスであった。
私がいた当時でも横綱や幕ノ内の名の知れた関取がタニマチと良く来ていたし、芸能人の来店も珍しくなかった。
特に印象に残っているのは、世界の北野として有名になったビートたけしさん。
漫才ブームで超売れっ子だったが店には度々顔を出してくれた。


七五三はプロの登竜門と言われ、過去、現在にわたって民謡歌手、津軽三味線で活躍している人もここから出た人が多い。
七五三を筆頭に大小10軒ほど、どこの店も秋田、青森から出て来た芸人がほとんどだった。
中でも七五三は青森県人が圧倒的に多く、芸能部には、歌い手、三味線弾き、バンド、そして一番多かったのが、踊り子。

踊り子は青森から津軽の手踊りを踊る若い女の子達で構成され、全盛期には宝塚と同じように幾つかの組に分かれていたほど。

津軽の手踊りは勿論、生バンドによる、紀伊國屋文左衛門や赤垣源蔵などの長編歌謡浪曲などは特に人気が高かった。

一時期は青森県の黒石にも支店が有るほどの盛況ぶりだったが、昭和50年を境に次第に民謡酒場にも陰りが見えて来た。
戦後から30年、日本は完全に復興を遂げ、かつての地方労働者達が田舎に帰ったり、都会の生活に慣れ、次第に民謡に故郷を求めなくなったのも要因である。

周りの民謡酒場も同様で、この頃から次第に客足は遠のくのであった。


つづく

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昨日に続き藤田淳一先生の話。

藤田先生は函館に住んでいたが、私が七五三に入社して間もなく、七五三のすぐ近くに家族で越して来た。
ご両親が秋田の方だったので血は純粋な秋田県人。

そんなせいか、非常に可愛がって戴いた。
昔は譜面などあるはずもなく、芸は盗んで覚えるのが当たり前。
従ってどの三味線弾きも人気奏者の手(フレーズ)を盗もうと虎視眈々と狙っている。


自分が集めた名人のテープなどはまさしくお宝で簡単に人には聴かせない。
聴かせると手を盗まれるからだ。
稽古に伺った時に先生は機嫌が良いと良く、名人、故、白川軍八郎のテープを聴かせてくれた。
録音しても良いかと聞くと録音させてくれるが必ず最後に、『良いか、誰にも聴かせるなよ』と付け加えるのを忘れなかった。

当時の稽古は勿論譜面など有るはずもなく、テープさえ録ってくれない先生も沢山いたほど。

苦労に苦労を重ねて覚えた物はそんなに簡単に教えられない時代だったのだ。
今は譜面があり、覚えようと思えば簡単に覚えられるが、簡単に覚えたものは忘れるのも早い。

稽古に行って真剣に目を皿のようにしても限られた時間で覚えられるのはほんのわずか。一曲覚えるのに時間はかかったが、苦労して覚えたものは中々忘れなかった。


そんな時代が懐かしい。

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