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★津軽三味線『藤秋会』家元★加藤訓の公式ブログ 2013年06月


ただ今九州新幹線、みずほに乗車中。

博多駅通過。
どんよりと曇り空の博多の街です。
下車出来ないのが残念ですがまた、ゆっくり来る機会もあるでしょう。


あと1時間ほどで鹿児島中央に到着です。


速い!!

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昨日稽古まで時間があったので迎えに来た訓友(さとゆう)さんが岡山城に連れて行ってくれた。

岡山城は岡山駅から車だと5分ほどと立地が良く日本三大名園の一つ、後楽園がある事から多くの観光客で賑わっている。

全体が真っ黒な事から烏城と呼ばれ、お隣り、姫路城が白鷺城と呼ばれてるのとは対照的である。
1597年、時の城主、宇喜多秀家によって建立された。


残念ながら昭和20年6月29日の岡山空襲により焼失したが昭和41年11月に市民の長年の要望で再建された。


姫路城をいつも見ているせいか、あまり大きくはないが全体的にバランスが良く、後楽園、旭川に囲まれたコントラストは大変美しく、岡山を代表するビュースポットである。

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舞台で非常に重要な役目を果たすのが司会者だと思っている。

今まで色々な司会者を見てきたが、おそらく総合するとこの人の右に出る人はいないだろう。

ショーの司会はアナウンサーと違い原稿を読むのが上手いだけでは務まらない。
豊富な知識を必要とし、即応性、アドリブが効き、その話術によって演者を引き立て力以上のパフォーマンスをさせる、名司会者とはそんな人の事を言うのであって、渡邉寛尚さんはまさしくそれを兼ね備えた人。
あの玉置宏さんが一目置いたのも頷ける。


秋田市内から少し離れた田舎に住んではいるが、どうしてどうして、発音、滑舌の良さ、声のトーンは一級品、立て板に水の如く流暢だ。
特に今回の公演のように転換の時間が読めない時は、舞台監督の合図が来るまで繋がないといけない。
それがDVDを視るとお客様を飽きさせないように実に巧みな話術で和ませている。

渡邉寛尚さんの話術は単なる繋ぎではなく、その部分が一つの演目のようになっている。これはまねして簡単に出来るものではなく、長い経験と場数を踏まなければ出来ない技だ。


現にお客様から、転換のため何回も客前に出て繋いでいるが、全く長く感じなかったとの声が多かった。


さすが!としか言いようがない。

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昨日と今日名古屋栄のブルーノートで五木ひろしさんがコンサートを行っている。

先月の夢舞台の御礼に御園座谷本プロデューサと一緒にお邪魔した。

来年は五木さんの50周年。
1月の博多座の話は残念ながら遠すぎることと、小屋側の条件が合わず断念。
しかしながら名古屋でもコンサート、そして再来年の1月には中日劇場の公演も控えており、何等かの形で声がかかりそうだ。


今日のブルーノートコンサートは夕方6時30分から。

お問い合わせは、名古屋ブルーノート。

052-961-6311まで。

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ネットを見ていてこんな話を見つけた。


ーーーーーーーーーー
俺の親父は消防士だった。
いつ何があってもおかしくない仕事だから、よく母に『俺に何かあっても、お前らが苦労しないようにはしてる』って言っていたのを覚えている。
親父はとてもあつい人間で情熱って言葉が大好きだった。


口数の少ない親父が、久しぶりに俺達息子に口を開いたと思うと『情熱だけは持ちつづけろ』って『何か本気になってみろ』ってそればかりだった。


ある日、緊急要請が入って夜中の2時頃、親父は火事現場に向かって行った。
物音に起きて、部屋のドアを開けて見た親父の背中が俺が親父を見る最後の機会になった。


親父は火事で倒壊してきた建物の下敷きになって病院に運ばれたものの、死んだ。
朝、母からそれを聞いたとき信じられなかった。いつもみたいに疲れた顔して帰って来て、『母さんビール』なんて言う、そう思えて仕方なかった。
でも灰だらけになって眠る父の顔を見て、一生目覚めないその顔を見て、それが現実だとわかった。
悲しくて涙が止まらなかった。
でも同時に誇らしかった。


親父は灰だらけでボロボロで、もう目覚めなかったけれど、あの日の火事では全員救出できたそうだ。
最後まで『人を助けるって言う情熱』を失わなかった。


他人から見ればただの一介の消防士にすぎないだろうけれど、俺にとっては最後まで最高にかっこいい親父だった。
そんな親父の最後が誇らしくて、何故かさらに涙が溢れた。


あれから12年、俺は親父と同じ仕事に就いている。
何年も働いているが、今でも現場に向かう時は怖い。
それでも向かうことが出来るのは俺がこの仕事に『情熱』を持っているからだ。
あの時、最後まで親父が持っていたように。

ありがとう、親父。
あんたの背中を見ていたから今、火の海に飛び込んでいける。
怖くても足を踏み出していける。
本当にありがとう。

誰一人死なせはしない。

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感動的なお話ですね。私は昔、海上自衛官の頃、艦船のレスキューが専門、(船の消防士みたいな仕事)をしていたので実際訓練で火の中に飛び込んだことも何度もありますから火の怖さは良くわかります。

お父さんも立派ですが、お父さんの言う情熱を持ってその志を受け継いで頑張っている、この方も立派です。


藤秋会も情熱があるから色々成し遂げることができました。
熱い情熱を持って努力すれば夢は叶います。

良いお話をありがとう。

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昨日はさくらんぼの話だったが、今日はりんごのお話。


津軽三味線と言えば、岩木山に、りんご畑、風雪、この三つは不可欠だ。
『奇跡のりんご』と言う映画が上映されるのを予告編で見て楽しみにしていた。

昨日、時間がとれたので家の前の東宝シネマに行ってきたが、それはそれは、期待通りで感動した。
特にあの岩木山の裾野に広がるりんご畑は青森を何度も訪れていて脳裏に焼き付いている。

物語は実話で、りんご農家に婿入りした農家の次男の話で、農薬に負け散布の度に辛い思いをしている奥さんを思い、何とか無農薬でりんごを作ろうと試みるが、何年かかっても失敗の連続、全く実らないりんごの性で生活はじり貧で電気も止められ、村人からは村八分同然で最後に自殺をしようと山に入り、死を目の前にして山から思わぬヒントを見つけて立ち直り、やがて無農薬での栽培に成功すると言う感動的な話で、ご本人は現在も弘前市で元気にりんごを作っている。


日本に西洋りんごが入って来たのは今から150年ほど前の明治維新以降で、津軽三味線の誕生した時期とだぶる。
多くの県で栽培が試みられたが結局残ったのが青森県。
津軽人独特の『じょっぱり魂』
意地っ張りで負けず嫌いが、青森県を見事にりんご生産日本一に押し上げた。


津軽三味線も苛酷な状況から今日本を代表する音楽になったのは、この『じょっぱり魂』に因るところが大きく、この物語とオーバーラップする。

津軽三味線とりんごは日本が世界に誇れるもの。
その陰にはどちらも、血のにじむような壮絶な闘いがあったのだ。

感動間違いなし!
是非ご覧戴きたい映画です。

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昨年もご紹介したが、私の友人に尺八名手、加藤聖明さんがいるが、彼はさくらんぼ農家で、お隣り山形のさくらんぼをしのぐさくらんぼを生産することで有名である。


秋田県湯沢市三関地区では、明治29年に初めてさくらんぼが植え付けをされ、昭和20年代から40年代にかけて急速に栽培面積が増加した。
三関のさくらんぼの美味しさは日本でも有数、特に加藤さんの作るさくらんぼは、つぶの大きさ、糖度が地区では群を抜き、お隣り、山形のさくらんぼ農家が視察に来るほど。


丁度今が収穫期で、贈答用として大変喜んで戴けるので顔を見ながらお願いに行って来た。
特に加藤さんしか作れない直系30ミリを超える最高級品は一粒でお札一枚に近い値段がつくと言うから驚き!銀座の高級料亭から引っ張りだこだと言い、もったいなくて、簡単には口に出来ない。


彼いわく。
何でもそうだが良い物を作ろうとすれば、人よりもはるかなる忍耐と努力が必要だ。
30ミリのさくらんぼは彼と家族のまさしく汗と血の結晶なのだ。


地方発送も出来るので是非ご賞味戴きたい。私の紹介だと言えば値打ちにしてくれるかもしれない。


秋田県湯沢市三関、加敬農園

電話 0183ー73ー6893

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先月の藤秋会夢舞台2013、リハーサル終了後の食事会で皆さんからからこんな色紙を戴いた。


一見、夢と書いてるように見えるが、実は『ありがとう』の文字を組み合わせて『夢』に見えるようにしている。

どなたが考えたか知らないが、感謝の気持ちがしっかりと伝わり大変嬉しかった。


こちらこそ皆さんに、『ありがとう』と言いたい。

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二日酔い気味の体を優しくいたわるように小鳥の目覚ましが心地良い。
今朝の秋田は17度。
暑からず寒からず、梅雨のさなかだがサラっとしている。



昨日、自宅の稽古の後に先月行われた夢舞台の反省会を行った。
参加者は18人。



わざわざ名古屋まで行ってくれた民謡日本一、浅野孝子さん、尺八名手、藤丸忠さん、そして同級生の栗谷デジタルリサーチ代表の、栗谷秀宣君も駆け付けてくれた。

6時半からの宴会開始と同時に、良かった、良かったの大合唱で再び感動がよみがえる。
話題は夢舞台一色で、間もなく二ヶ月を向かえようとしているのに、皆さんはまだ夢の中にいるらしい。


二次会は直ぐ近くの浅野孝子さんのお店に移動してカラオケ。
皆さん唄自慢だが特に訓正(さとまさ)が熱唱した、五木ひろしさんの新曲、博多アラモード、そして御園座で毎日聴いた懐かしい曲、凍て鶴、に拍手喝采。

なんと三次会まで繰り出し〆は秋田名物、昔懐かしい煮干しだしのラーメン、千秋麺。
ここでも話題はやっぱり夢舞台の事で、しばらく皆さんの頭から夢舞台は離れないようだ。

公演をやるには大変なエネルギーを使うが、これだけ皆さんに喜んで戴くと、使ったエネルギー以上の力が湧いて来る。

さあ、次の夢舞台は二年後の35周年記念公演『藤秋会夢舞台2015』

さて?どんな夢を見せられるか?
構想はすでに出来ている。
皆さんをまたまた夢の世界へご案内致しましょう。

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様々な小鳥のさえずりで起こされた。
都会の名古屋では味わえない心地よい朝だ。今朝の秋田は少し肌寒い。


昨日、秋田県民謡協会教授会の総会が市内の秋田温泉さとみであった。

参加者は 23人。
民謡王国秋田を牽引してきた、佐々木實秋田県民謡協会理事長、はじめ、民謡日本一、千葉美子、二代目、浅野梅若(浅野和子)、浅野千鶴子、鷲谷りつ子、王藤正蔵、他全国大会の覇者がずらりと揃った。

総会は3時から始まり、ぴっしり2時間、建設的な話が出て良い総会でした。


5時半から懇親会開始。
何故か私の乾杯の音頭で宴会開始。
普段秋田にいることの少ない私は久しぶりに会う方が多く、会話が弾む。
若い若いと言われた私も五十路も半ばを過ぎ大分くたびれてきたが、皆さんとの歳の差が縮まる訳もなく、出席者の中で最年少。
皆さんから見るとやっぱり若いらしい。


加藤さんは若くて良いねえ、なんて何十年経っも言われるのはいかに後輩が少ないかに尽きる話だ。
課題は色々あるが夢を追って民謡王国秋田の為に微力ながら頑張りたい。


(写真は長老、名誉教授、藤丸東雲、85歳と)

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