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★津軽三味線『藤秋会』家元★加藤訓の公式ブログ 2013年06月
5月の夢舞台があった事でその準備、後始末で4月28日に秋田から出て53日ぶり我が家に帰って来た。
東北も数日前から梅雨入りしたが何故か名古屋のようなじめじめ感は無く、過ごしやすい。
夕べ食事に出たが半袖だと寒く感じる。


今年の秋田は豪雪で、出る時は山あいにまだ残雪があったが、例年より一週間以上田植えの遅れた田捕の稲も順調に成育しているようだ。
風光明媚なのどかな田園風景にはやはり民謡が似合う。


昔は農協の移動販売車がよく民謡を流して売りに来ていたが、今では車社会になり中々そんな光景は見られなくなった。

はたして民謡はいつまで残るだろうか?
幸いな事に津軽三味線はお蔭さまで若い方々の愛好者が唄に比べて多い。
しかしながら、唄は小さい時、祖父母がスポンサーになり小遣いを餌に一時はやるが、学業が忙しくなるとやらなくなるのが現実だ。


奇しくも今日は午後から秋田県民謡協会、教授会の総会ならびに懇親会がある。
日頃あまり秋田にいない私だが懐かしい皆さんに会えるのも楽しみだし、良い話が出ることを期待したい。

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先日三重県で雨乞いをしたとブログに載せたが、見事に雨が降った。
それも昨日から今日にかけてまとまった量が降ったので当面、水不足の心配は遠ざかったようだ。
雨乞いは文献によると今から1500年ほど前から行われていたそうだが、ネットでこんなのを見つけた。

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何かで読んだか誰かに聞いたかは忘れてしまったけれど、祈祷をすれば必ず雨を降らせる雨乞い師がいると言う。

50%とか60%とかではなく100%というところがすごい。

その極意はシンプルなものだった。
雨が降るまで祈祷する。

これには笑い話で終わらせるには惜しいものがある。
雨という言葉を成功に換えてみればいい。

何かに取り組めば必ず成功させる人がいる。
その極意は成功するまでやる。
失敗も頓挫も敗北も挫折も、あきらめさえしなければただの過程でしかない。

成功した人というのは成功するまでやった人なのだ。
勝った人とは勝つまでやった人なのだ。

あきらめさえしなければ人生に敗北はない。

人の一生をはかるものはその人が何をしたかではなく、何をしようとしたかにあると思いたい。

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あきらめなければ雨乞いで雨も降る。
あきらめなければ負けはない!

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昔から良いフレーズの事を『良い手』と言っていた。
良い手は湯水の如くそう簡単に湧いて来るものではない。
我々の修行時代は譜面なんかあるはずもなく、先輩の演奏の良い手を部分的に盗む、いわばコピーをするのである。
それを自分なりに組み合わせて新しいフレーズにして行くのが一般的だった。


しかし、ハイテクニックな手ばかりの組み合わせになってしまい、忙しい三味線になってしまう。
これを津軽では『かちゃましい』三味線と言う。

結局、難儀して弾いている割には聴いてる側にはあまり良さが伝わらないと言うことになる。


先日ご紹介した津軽三味線研究家、大條和雄先生がご自身の著書でこんな事を言われている。

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例えば一行一行がまれに見る名文であったとしてもその小説が必ずしも名作とはならない。
小説は名文の羅列ではないからである。
俗な言い方だが、物語があり起承転結があって読者に感銘を与える。
津軽三味線もハイテクニックの連続だけでは良い演奏とは言えない。

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全くその通りであって実はこの事は非常に重要視されなければならない。
名人、故、木田林松栄師匠の三味線は、一度聴くと直ぐにコピー出来そうなフレーズで派手さはなかったが、何度も聴きたい三味線だった。

何故そんなに良かったか考えるてみると、短い時間の中にも起承転結がはっきりしていて、一曲一曲がドラマになっていたから聴く者を納得させる事が出来たのだ。

ソロでも合奏でもこの事が大切で、曲の構成は大会において順位を大きく左右する。
それとともに、津軽と頭に冠がついている以上、目をつぶったらそこに津軽が見えてこなければそれは津軽三味線ではない。


これから各地で津軽三味線コンクールが行われるが、貴方なりの素敵な津軽を描いてほしいものだ。

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空つゆの名古屋はダムの貯水量がいずれも50%を切ってこのまま雨が降らないと深刻な状況になる。
とりわけ、農産物には大きな打撃になる。


お隣り三重県はもっと深刻で、津市の安濃ダムの貯水率が10%になったと言う。
そこでこの度、明治時代から4回目の地元の方々50人による雨乞いが行われたとテレビのニュースでやっていた。

時代劇などでは見た事はあるが、いつの時代も最終的には神の力ににすがるしかないようだがさて?


それが功を奏したかは定かではないが今日から三日間は雨の予報。
そう言えば民謡に雨乞いの唄と言うのは記憶にないが??
唄って降るものならみんなで唄ってあげたいものだ。

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ここ10年ほどの間に津軽三味線は和製ジャズとしてその認知度は著しく向上し、テレビのBGMにも頻繁に使われるようになってきたし、コンクールも国内至る所で行われるようになったことは大変喜ばしいことである。

一般的に津軽三味線と言えば、じょんから節が頭に浮かぶが、普通良く耳にするのはじょんから節でも、新節のフレーズである。
三味線をかじっている方であればご存知だとは思うが、じょんから節は大きく四つに分けられる。

旧節、中節(なかふし)、新節、新旧節。

普通コンクールで演奏するのはほとんどがテンポが良く派手な新節を演奏するが私は『中節』が好きである。
三味線の技法も決して派手ではないが、撥付けの良し悪しが一目瞭然で技術の差がはっきりと出る曲。
弾き方は津軽小原節と一緒でリズムは二通りある。

唄も中節はテンポがゆっくりなのでごまかしが効かず玄人にうける唄で、上手な人のをじっくり聴くと何とも味わい深く渋い曲だ。


ゆったりとした曲調は簡単そうに見えるが、じっくりと相手を納得させる為にはしっかりとした技術がないと弾けない曲だ。


曲弾きを一生懸命やるのも勿論良いが、たまには、いぶし銀の大人の曲も弾いてみたら如何だろう。

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日本を代表する津軽三味線研究家と言えば弘前市在住の大條和雄先生。

平成元年5月4日、津軽三味線発祥の地と言われる、青森県北津軽郡金木町で『第一回津軽三味線全日本競技大会』が行われたが、大條和雄先生が審査委員長を務めた。
昨日資料を整理していたらこの写真が出てきた。
そして総評の中でこんな事を言っている。

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本大会で印象に残ったものを挙げると、まず団体一位の秋田藤秋会がある。
過去において優勝経験があるだけに、十二人の一撥一撥が見事に合って、これが曲合わせだと言わんばかりの演奏であった。

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わかりにくいと思うが真ん中が私である。
当時私は痩せていて今とは別人、わずか十二人での出場だった。
演奏そのものは今とは比較にならないほどのレベルだったはず。
それでも十人以上で演奏すること事態が非常に珍しい時代だった。

あれから二十五年、今では当時よりもっと高度な曲を二十倍の人数で演奏出来る。


四半世紀の重みを感じる。

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藤秋会鹿児島公演から丸二年が過ぎたが、九州初の大合奏は今でも鹿児島の方々の心にしっかりと残っている。
鹿児島公演は支部長である訓皇(さとおう)さんの悲願で実現したが、実は彼はこの頃、持病の糖尿病から腎臓も悪化、気力で乗り越えた。

しかしその後、中々思うような回復に至らず遂に人口透析をすることになり大好きな三味線も休んでいた。
一度人口透析をすると一生やらなければならず、復帰は難しいかなと思っていたら、何と!最近妹さんの腎臓を移植したと聞いて驚いた。

腎臓は二つあるが一つでも普段の生活には支障が無いそうで、現に私の親しい友人も数年前に一つ摘ったが、以前と変わらなく酒も飲むし全く問題がないと言う。


経過は良好で合併症が出なければ近々退院出来るそうで、また元気な姿を見れそうだ。
一日も早い回復を祈ると共に妹さんの勇気を讃えたい。


健康は何にもかえがたい財産だ。

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来月高松市で行われる津軽三味線さぬきフェスタに本日正式にエントリーが完了する。
この大会は数ある津軽三味線大会の中で合奏だけで競う唯一の大会。

昨年訓峯会(さとみね)が挑戦して惜しくも僅差で小山会に破れた。

これで小山会が二連覇したそうだが、小山会と言えば、国内の津軽三味線団体では最も組織の大きいところで、その規模は他の追随を許さない。


その昔、津軽三味線は複数で弾くのは難しいと言われてたのを初代の貢翁(みつおう)先生が今から50年ほど前に見事にまとめあげ、合奏の小山会の名前を欲しいままにし全国に知らしめた。


小山会のように成りたい。
それを夢見て、いつかはと思いやっていたが遂に昭和63年、武道館で行われた日本郷土民謡協会全国大会において常勝軍団小山会を倒した。
その次の年の平成元年にも我々が勝利してから各地で行われる大会にもあまり出てこなくなったが、最近またちょくちょく名前を見るようになった。


昨年の津軽三味線大阪大会でも優勝していたので、もしもエントリーしていたら強力な対抗馬になることは間違いない。
5月の夢舞台が終わりゆっくりしていた気持ちをしっかりと引き締め直し、選手には励んで戴きたい。


当日まで全体練習は出来ないからぶっつけ本番。
しかし我々に負けることは許されない。

2位では駄目なんですか?と言った民主党の議員がいたが、当然ながら2位では駄目なんです。
何故なら私が住む秋田県の民謡界では優勝しか認めてもらえない所。

秋田では2位も最下位も同じ評価でしかない。
そんな厳しい所だから全国一、民謡のタイトルホルダーが多い。


選手諸君、もう休みは終りだよ。

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台風に恵の雨を期待したが名古屋は空振り、今日も昨日に続き日中は30度を超えると言うからいよいよ農作物への影響が心配される。
ダムの貯水量も半分くらいになってきたそうだから、このまま雨が降らないと深刻な事態になりそうだ。

さて、度々引用させていただいてる知人、柴田靖さんから、先日ぐっと来るメールを戴きました。

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★腹違いの兄貴が居る
俺小学5年、兄貴大学生の時に子連れ同士の再婚。
一回り近く年が離れていたせいか、何だか打ち解けられないまま。

大学入試の時、入学金の事親に言えないでいたら、兄貴が知らない内に払っていた。
俺「気を遣わないでよ。いざとなれば働けば…」
兄貴「馬鹿野郎。俺はお前の兄ちゃんだ。」後でちょっと泣いた。

姪っ子が大怪我した時、限界まで輸血した。
兄貴「もういい止めろ。死んでしまう」
俺「うるさい。俺は○子の叔父さんだ」義姉共々泣かした。
お返しだ。ザマミロ。

姪っ子の結婚式の時、

「私にはお父さんとお母さんと、叔父さんの血が流れています」 って言われて図らずも号泣。
兄貴夫婦以上に号泣。
大恥かいた。

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演歌と浪花節が大好きな私にはこういう話はたまりません。

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昨日夜7時からのテレビ、『トリハダ』で以前ブログに取り上げた『日体大、集団行動2013』が取り上げられていたがタイトルからして、『藤秋会夢舞台2013』に似ている。


前回は2011年にそれまで男子だけでやっていた集団行動を、初めて女子40人でやったのが放映され感動したが、今度は倍の人数、男女混合80人でやると言う。
早速最初の合宿を行ったがあまりの苛酷さに故障者続出で、昨日の映像は終了。



指導をする清原伸彦先生は御歳72歳。
日体大水球部の総監督を21年間務め何と!21年間無敗、実に376勝に導いたと言うから開いた口がふさがらない。


同じく集団行動を十八番にしている我々藤秋会にとってはジャンルは違えど学ぶべき事は山ほどあるはず。
次の放送が待ち遠しいところだが、人数では俄然、我々が勝っている。
向こうは全体で週3回練習し、1週間の合宿を計4回やるそうだが、藤秋会は人数が3倍で、全体練習は本番前の1日だけだ。


これは頑張ればあれを超えられるかも知れない、とふと思った。
集団行動は難しいが、しっかりやれば人を感動させられるし、自分達も感動する。


清原先生が集団行動をやる学生にこんな事を言っていた。

練習は厳しいが必ず感激と感動は提供致します。
その表情には確かな自信がみなぎっている。やり遂げた達成感があれば演者も感動することが出来る


先月夢舞台に出演して戴いた、ゴスペルの『アノインテット、マス、クワイアー』の奥村代表も厳しさでは引けをとらないが、奇しくも字は違えどお名前が信彦。
清原先生は伸彦。

単なる偶然にすぎないが何だか気になる。


次の放送が楽しみだ!。

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