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★津軽三味線『藤秋会』家元★加藤訓の公式ブログ 2010年07月
ブログを毎日書いて遂に今日で一年に成った。
ネタに苦慮した事もあったが、何とか休む事無く書き続けられた。

世の中は完全にネット社会に移行し、ネットに全くと言って良いほど無知な私は、もはや原始人扱い。
それを心配してくれた親友、栗谷君のお陰で、その重要性を痛感し背中を押されてのスタート。

今日で丸一年、書いたブログが495、ブログランキングに参加し、2778人の中で、予想外の二位を達成。
一位のブログ性質上、それを抜くのは不可能だが、何とかここまで頑張れたのは、皆さんが読んでくれ支えてくれた事が一番、心から感謝致します。


ネットで藤秋会をアピールし、組織の拡大を図る事を目標にして来たが、少しずつその成果は表れて来た。


さて、明日からどうするか?
また一年毎日と成ると正直かなりのプレッシャーだ。
ひと月に十日位のペースが理想的だと言うが、間隔を開ければ間違いなく、カウンターが落ちる。

それもちょっぴり悔しい。
さてどうしたものか???

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津軽三味線を今日の隆盛に導くきっかけを作った人が、故『高橋竹山』さん。
1998年87歳で亡くなったが、1910年、明治43年の生まれなので、今年が生誕100年に当たる。

5月の藤秋会公演の際、ゲストでお招きした、津軽手踊りの二代目石川久美子社中は、竹山さんと同じ青森県東津軽郡平内町に住んでおり、大変親交が深かったと言う。
お土産に生誕100年を記念して造られた日本酒を戴いたが、何となくもったいない気がして封を切れない。


浅草から秋田に帰って、何度か舞台でご一緒した事があるが、とても温厚で頭が低く、私の様な駆け出しにも優しく接して下さった。演奏の合間に語るその口調は、とても丁寧でユーモアも交え、常にお客様に感謝を忘れない。


その昔、北海道に『かどづけ』(家々の玄関先で三味線を弾き、施しを受ける)に行った時、空腹と寒さで倒れる寸前に、韓国から来ていた人々におにぎりを戴き暖をとらせて戴いたのが、生涯忘れられないと言う。
舞台では、感謝を込めて必ず韓国民謡アリランを弾いた。
やはり、苦労した人は恩を忘れず人にも優しいし、大切にもする。

今はもう忘れてしまったが、竹山さんの舞台での演奏をそっとテープに録り、擦り切れるほど聞いてコピーしたのを覚えている。


没後10年以上過ぎてもその人気は衰える事を知らず、津軽三味線と言えばきっと100年先でも語られる方だろう。
改めてその偉大さを感じる今日この頃だ。


天国でどんな気持ちで現在の津軽三味線を見ているのだろうか?

安らかにお眠り下さい。



合掌

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大須演芸場での面白い話をもう一つ紹介しよう。
こちらは落語家の話。

ある日、雷様と、お日様とお月様が一緒に泊まりがけで一杯やりました。


次の朝、雷様が目を覚ましたら二人の姿が見当たらない。
そこで雷様が仲居さんに二人はどうしたのかと聞いたら、お月様とお日様は朝早く発ったと言ったそうだ。


『月日の発つ(経つ)のは早いものだ』と雷様が言ったとか。


仲居さんは貴方はいつ発つのかと聞いたら『私は夕立だ』と言ったそう。


雷様が発った後で仲居さんが部屋を見たら、重箱が置いて有り、何と!その中にはへその佃煮が入っていたとか。


おわり

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巨像、貢栄連合会を倒しての優勝は、我々の大きな自信となり、昭和天皇が崩御され元号が平成に変わった年、幸いにして我々は、またもや、貢栄連合会を退け二連覇する事が出来た。


二連覇した事で、地区連合会支部長会議で、合奏は秋田民謡に限らなくても良いと言う事を了承して戴いた。
やっぱり実績がものを言う。


しかし、ここからが中々思う様に成らなかった。
三連覇をかけた平成二年、敗退、続く四年、六年、八年と一年おきに敗れいずれも二位。

『負けるが勝ち』『失敗は成功のもと』と昔からの諺に有る様に、敗れれば何故敗れたかを分析し、それを生かす事が出来、自分なりに徹底的に敗因を分析した。


我が藤秋会は秋田を本部に県外に教室が分布していて、秋田県予選に出るにも登録メンバーから選抜し秋田に集結、予選に出ていた。

当然、経費上の問題で事前に集まり練習する事が出来なく、本番当日のみの音合わせに成り、思う様に中々成らない。
この事が何よりも辛いところだった。

武道館でも同じで有り、今まで選手全員が事前に何処かに集まって練習した事は一度も無い。


敗れた原因は色々考えられるが、ぶっつけ本番で毎回勝たせてくれるほど、武道館は甘い所では無かったので有る。



つづく

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2006年、映画フラガールが話題になり私も見たが、昨日レンタルビデオ屋さんに行ったら目にとまり、もう一度見たくなり借りて来た。

流石に2007年、第30回日本アカデミー賞の最優秀作品賞他、各部門を総なめにしただけあって、二度見ても飽きないし、実話なのが説得力を増している。
そう言えば今年の春はこの映画効果で退団者が少なく、新規の舞踊学院生徒を募集しなかったとか。

エネルギーが石炭から石油に移行して行く中で炭鉱町を何とか救おうと考えた策は奇想天外、なんと東北にハワイを作ろうと言う仰天発想。

日本人にとってハワイは今でも憧れの地、40年以上前は尚更、夢の夢だったろう。
オープンした頃、母親が婦人会の旅行で訪れ素晴らしかったと、えらく喜んで帰って来たのをはっきり覚えており、いつか行ってみたいと思っていた所でも有った。

30数年前に当時在籍していた民謡会館七五三の仲間と行ったが、もの凄く広いドームの中に南国の植物が繁り、広い浜辺を思わせる情景は、まるで見た事の無い憧れのハワイがそこに有るかのようでワクワクした。

やがてショータイムに成りフラガールが一斉に登場した時の感動は、寒い東北に本来有り得ない華やかな光景に暫く釘付けに成り、いつか必ず本物のハワイに行きたいと思ったものである。

一見、無謀だと思われる事もいざ実現すると人は評価せざるを得ない。
そうして実績を積み上げて行く事で更なる評価を頂き、成長して行く。
どこか藤秋会とダブって見えて親しみがわく。


常磐ハワイアンセンターの実話、フラガールは、時代の先読み、固定観念に捕われず変えなければ成らない時の勇気を私に教えてくれた素晴らしいドラマであった。

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昨日は鹿児島藤秋会の代表、訓速(さとみ)さんの一月遅れの免許授与式。
入門は平成7年の10月だから、もう15年に成る。
お孫さんの突然のご不幸で3年ほど休会したが元気に復帰。

先月準師範に昇格したが都合により、授与式に出席出来なかったので、昨日お弟子さんと近親者を集めての披露となった

午前中、訓速会の稽古に続き1時から、御家族、訓速会の皆さん、町内会長さんなど、総勢23名の出席を戴き、アットホームな授与式と成りました。

お孫さん達の、訓速さんに対する温かさが、素晴らしく、理想的な家族を見る様。
町内の皆様にも、親しく接して戴き、心に残る良い授与式に成りました。


訓速さんは来年の1月で79歳に成ると言う。17歳から三味線を始めたそうなので、もう60年以上も弾いている事に成るが、どうかいつまでもお元気で、皆さんの目標と成って戴くようお願いします。


心に残る授与式をありがとうございました。
鹿児島弁だと(あいがとさげもした)

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夕べ鹿児島から帰って来て、パソコンを開いたら、ええっ、ブログランキングがひとつ上がって2位に成っているではないか?

邦楽部門のブログランキング参加者は全部で2778、 その中の2位は立派過ぎるではないか。

一昨日までの2位は3位にダウン。
どう見てもこれを抜くのはかなり厳しいと思っていたが、やっぱり人間諦めては駄目なんだ。

う~ん、でもどうしてなんだろうか?
素直に喜べないが、とりあえず、目出たい。読んで戴いてる皆様に感謝致します。


サンキュー

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二ヶ月ぶりの鹿児島、やっぱりこちらも暑い。
しかし、南に位置する割には名古屋ほどでは無く31度、我慢できる暑さだ。

今、鹿児島では六月灯(ろくがつどう)と言う行事があちこちの神社や神宮で行われている。
この六月灯とは旧薩摩藩だけで行われているもので、旧暦の六月(現在の七月)は農耕用の牛馬が病気になり、田んぼに虫が発生する時期とか。
神様に灯明を灯し、家内安全、無病息災、五穀豊穣を祈願するお祭りだとか。

丁度、稽古場の近くに荒田八幡宮が有り、そこの六月灯のお祭りで、九州で大変有名な和太鼓集団、『霧島九面太鼓』の演奏が有ると言うので、稽古終了後に皆さんで覗いて見た。

なんと稽古場を出たらあれっ!涼しい。
気温は25度ほどでしのぎやすく、野外での観覧も全く苦に成らない。
女性だけのチームだが中々のパワフルな演奏に会場は大喝采。
この辺での人気の高さがうかがえる。


鹿児島に来て新たな発見!
こちらでは神社(じんじゃ)を(じんしゃ)と言う。
ええ? じんしゃ?
じんじゃの間違いではないかと聞き直したが、やっぱり、じんしゃだ。 ???



所変われば品変わる。う~ん? じんしゃ、はどうもしっくり来ない??

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先日の大須演芸場で面白い話があったのでご紹介しよう。

三味線の音がしてあれっ?と思ったら出てきた人は白髪で着流しスタイル、三味線漫談だ。

全体的には今一つだったがこれだけは面白かった。
呑気節にのせての替え唄。

朝、洗面所で入れ歯を外して洗っていたら、孫がそれを見てビックリ!
そこで孫が言った。
おじいちゃん、今度は眼の玉を外して洗うの?



これはいけてる

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二年続けて予選敗退と言う屈辱は、我々を大きく成長させた。
63年『仙北荷方、本荘追分、秋田荷方』の、津軽三味線に対抗出来る、秋田三味線の代表曲を組み合わせ、三年振りに予選を突破。

指導者として三年連続で敗れる事は、その力量を疑われても仕方の無いこと。是が非でも負ける訳にはいかなかたった。

この頃、昭和天皇の病状が思わしく無く、連日の様にそのご容態が報道され、場所柄、今年の武道館は中止になる可能性も有るとの話も出て心配されたが、幸いに予定通り開催される事に成り、一同ほっと胸を撫で下ろす。

いよいよ決戦の日、東京でも寒さが日増しに厳しさを増し、その日は朝からあいにくの冷たい雨、しかも陛下のご容態の事も有り、皇居敷地内に有る武道館では、外部にあからさまに音が聞こえない様にとの御触れも有り、満足に音合わせが出来ない厳しい状況。

それでも幸運な事に我々の出番は、一番最後。
この種のコンクールでの先行逃げ切りは不利で、後に出る程条件が良くなる。
相変わらず貢栄連合会の大合奏は見る者を圧倒し、迫力溢れる演奏は王者ならではの貫禄と自信に満ち溢れていて素晴らしく、当然ながら最後の我々を残して最高点。

横綱に胸を借りるつもりで半ば開き直りで挑んだ演奏は、大きなミスも無く予想以上に上手く出来た気がした。
初出場の三年前、赤のトレーナーで出場して注意された反省を生かし、良し、それではと和服の最高礼装である、黒紋付きに袴、女性には留め袖を着せた。
これ以降、それまでばらばらに色とりどりの会の着物を着ていたグループも、次第に藤秋会カラーに成り、今では殆どがこのスタイルに成った。


固唾を飲んで見守る客席が一斉に電工掲示板に注目、一瞬の静寂の後、やがて会場一杯に響き渡る歓声が我々の勝利を告げ、会員が歓喜で沸き上がり抱き合う光景がつい昨日の事の様で有る。



つづく

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