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★津軽三味線『藤秋会』家元★加藤訓の公式ブログ 2009年09月16日
昔、昔、私が修行した所は、今は既にないが、同年代の津軽三味線愛好者は、知る人ぞ知る、浅草民謡会館、七五三である。

300名を収容出来る此処は民謡会館と言うよりは小さな劇場の様で有った。


浅草界隈には当時数々の民謡酒場が有ったがその規模はせいぜい50人も入れば大きい方。

七五三がいかに大きかったか想像出来る。

全盛期、華やかりし頃は、はとバスのコースにも成っていて、国立劇場で松竹歌劇団を観劇した後に食事をしながら、津軽民謡を聞いたと言う。

そして此処にはオランダのユリアナ女王もいらしたと言うからおどろきだ。


津軽三味線の名手も此処で活躍した人が多い。

挙げれば、沢田勝秋、五錦竜二、大条由雄、佐々木光義、白川ひろし(現、新田ひろし)、故、木田林松次、などなど。


現在も日本の津軽三味線界をリードしているそうそうたる方々が此処にいた。


電動の緞帳が開くと、舞台の後が硝子張りに成っていて大きな岩から滝が豪快に流れる様は、圧巻で有った。


私が此処に入社したのが昭和53年、まだ春遅い3月。
下足番からのスタート。

この頃の七五三には、先に紹介した方々は既に居なく、津軽三味線は、三代目、長谷川栄八郎、秋田の佐藤民夫、芸能部長の大場清、の三人。


ショーの時間になると舞台の一番端で下手な三味線をピコピコ弾く毎日だったが、とても充実した日々だった。

此処には修行時代、最もお世話に成った、津軽民謡界の女王と言われた、山田百合子さんがレギュラー出演していたが、ある日の事。

訓、来週の日曜日に仕事に連れて行くから勉強しておきなさいよと言われた。


突然の事で驚いたが、余りの嬉しさで天にも昇る気持ちで有った。
それもそのはず、山田百合子と言えば、津軽民謡界では誰もが認める一流中の一流で有る。

十八番は津軽あいや節で、あいやの百合子か、百合子のあいやかと言われていた。

が、しかしその喜びは直ぐに不安に変わった。

なにせ、まだまだ山田先生の伴奏を付けるような三味線は弾けない。

次の日から舞台で弾かせて頂いたが、全く唄に合わせる事が出来ない。


こんな汗がいったい何処から出て来るんだろうと思うくらい、緊張の連続で、落ち込んでしまった。
どうしたら上手く合わせられるんだろう?

閉店後、皆が帰って静まり返った大広間に、私の悲痛な叫びにも似た三味の音が響く。


この日から山田先生の唄を録音した、大きなカセットデッキとの格闘が始まる事に成る。 つづく

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テーマ:津軽三味線
ジャンル:音楽