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★津軽三味線『藤秋会』家元★加藤訓の公式サイト ★津軽三味線よもやま話
先日ブログに載せた、『秋田山唄』の件。


歌ったご本人にご連絡がつき真相が解った。歌った村田訓子さんによれば秋田山唄は、秋田出身、東京在住の民謡の先生が郷里の秋田を想い自ら作った新作民謡との事で、かなり前の事だと言う。


新作民謡が駄目だとは決して思わない。
まして育った郷里を想い、それを唄にするのは自由であり、歌うのも全く自由である。


ただし、コンクールとなれば少し問題があるような気がする。
私は全国大会の審査をするようになって15年ほどになるが、唄のコンクールの場合は唄の上手い下手だけで審査するのではなく、歌詞を間違えば減点されるし、節を間違えば減点される。


ところが新作民謡でもほとんど知られていない唄は審査するにも、その唄自体を知らないので、歌詞が正しいのか、節回しが正しいのか判断がつかない審査員泣かせの曲であり、どちらかと言うとコンクール用としては不利かもしれない。


今後どんどん新作民謡が誕生するとは考えにくいが、コンクールに出場する際には選曲に配慮が必要かもしれない。



余談だが、コンクールの場合、曲目によって、点数の上がりやすい曲と、上手く歌ってもあまり高い点数がつかない曲があるのは事実で、出場者は選曲する際その辺を考慮して戴くと良いかもしれない。

○○三味線と呼ぶには他とは確実に違う奏法、独創性が無ければ説得力に欠けるが、残念ながら、『長者の山』や『ひでこ節』等に付く三味線をを秋田三味線と呼べるかと言えばかなり無理がある。




二の糸を多用するのが秋田三味線の特徴だと言う人もいるが、それは何も秋田の曲に限ったことではない。
その点、津軽三味線は明らかに他の民謡三味線とは違う特色があり、独創性に溢れている。
要するに○○三味線と呼ぶにはどの角度から見ても明らかに他との違いがはっきりしていて弾き手、或は聴衆を納得させるだけの要素がないといけないのだ。



さて、結論だが私がこれが秋田三味線だとどの角度からも言えるのは前号で述べた3曲。①の秋田荷方節は二の糸の押し撥を多用し、繊細で油断の出来ない技術的にも非常難しい曲。
②の仙北荷方節は六郷町(現美郷町)金沢の熊野神社の掛唄大会で唄われる唄に前奏を付けたもので、中々独創性に優れ津軽三味線には見当たらない面白さがある。
③の本荘追分はお座敷唄として全国の民謡愛好者の人気が高い曲だが、リズムを身体で覚えるのが大変難しい。以前にも述べたが今まで指導して来て最もこちらの思う様に弾いて戴けない曲。




以上3曲を私は秋田三味線と呼ぶに相応しい曲だと思うがさて、皆さんの見解は如何だろうか?



おわり

青森県は廃藩置県によりそれまで南部藩だった所が組み入れられたので、現青森県の民謡を全て津軽民謡とは言わないし津軽三味線とも言わない。




津軽三味線の発祥地は北津軽郡、金木町で仁太坊(秋元仁太郎)が始祖と言われているが、津軽五大民謡に付いた三味線を通称、津軽三味線と呼ぶのが妥当だと考える。
五大民謡は字の如く五つだが、それぞれの中には更に旧節、中節(なかふし)などに分かれているので曲数からすると10を超える数になる。



太棹三味線に厚目の犬の皮を破れるぎりぎりまで張り、撥で皮を叩きつけるのが特徴で、しかも撥を前後に弾きわけて抑揚を出す。
北国の厳しい自然、風雪に立ち向かいながら強く生きぬく人間模様を表したような三味線だ。
歴史的背景、その独創性から和製ジャズとも言われている。



さあ、それでは秋田三味線とはどんなものだろうか?
我が秋田県には非常に良い民謡が多く曲調が明るく親しみやすい。したがって各種全国大会で唄われる曲の中でも圧倒的に秋田民謡が多い。
しかし秋田民謡に付く三味線を全て秋田三味線と呼べるのだろうか?
意見の分かれるところだが、全て秋田三味線と呼ぶには少々無理があるようだ。




これはあくまでも私論だが私が秋田三味線と言えるのは三曲。
その曲とは?
①秋田荷方節(あきたにかたぶし)②仙北荷方節(せんぼくにかたぶし)③本荘追分(ほんじょうおいわけ)の三曲。
この三曲はいずれも秋田が生んだ名人位、故浅野梅若(あさのうめわか)先生が纏め上げたもの。
津軽三味線の様な派手さ豪快さはないが、その曲調は実に繊細華麗で美しく高い技術を要する曲だ。



津軽三味線を強く、たくましく、頼れる父親とすれば、秋田三味線は、優しく愛情満ちた母親の姿に似ているだろう。





つづく

秋田三味線と津軽三味線の違いを聞かれることがあるが、そもそも秋田三味線とはどんなものなのか?考えてみたい。



一般に民謡に分類される三味線をその奏法から分けてみると、東北、北海道のものと、東北以南、九州まで(いわゆる西もの)。
そして沖縄民謡に欠かせない三線(さんしん)と大きく三つに分けられると思う。




西ものは主に細棹でわりとしっとりと弾くものが多いが、中では島根県の安来節のように撥を力強く叩き付けて弾き、技術的にも難しいものもあるがこれは例外と言えよう。




東北、北海道の中で○○三味線と分けるとすれば、①津軽三味線、②南部三味線、③秋田三味線になると思うが、北海道の唄に付く三味線は北海道三味線とは言わないし、宮城県や福島県の唄は細棹で弾くことが多く、どちらかと言えば西ものに近い。



②の南部三味線とは旧南部領、(現在の青森県の太平洋側と岩手県、秋田県の鹿角地方)を言うが、中でも、南部追分、南部荷方、南部馬方三下がり、南部あいや、南部よされ、南部どどいつ、南部甚句、の『南部七踊り』に付く三味線はそのリズムが独特で技術的にも難しく、現地に何度も通い非常に苦労して覚えたほどだ。




さあ、それでは本題の秋田三味線とはどんなものなのか、津軽三味線との違いはどこなのか検証してみたい。




つづく

秋田のお祭り、イベントに欠かせないのが、秋田万歳。

万歳と言えば、尾張万歳、三河万歳等が有名だが、秋田万歳もこの流れの様だ。

秋田にも何人かの秋田万歳、万芸の方がいたが、代表的だったのが大御所、故『鳥居森鈴』故『大潟八郎』さん。
そして現役で最も面白いと言われる方が『秋田家万助』さん


万助さんは万歳と言うよりかは万芸。
この人の芸で代表的なのが、『お菓子のカールおじさん』と『ばんば舞』


カールおじさんはお馴染み、お菓子のカールおじさんに扮した万助さんが小話を交えながら、腰カゴからお菓子を投げる芸。
お菓子を貰えるので子供達に大ウケ。
小話の内容が過激で此処でご紹介出来ないのが真に残念!


極め付けが、お婆さん姿に変装した万助さんが演じる『ばんば舞』私は万助さんと何十回もご一緒したが、ばんば舞には三味線伴奏が付くので何時も後ろにいた。

毎回一言一句同じ事を言っているので、次に何を言うかも全てわかっいる。
しかし、面白い、何故かわからないが理屈抜きで面白い。
私は最初から最後まで三味線を弾きながら大笑い、随分と楽しませて戴いた。


本当に面白いものとは何度聞いても、全てわかっていても笑えるこんな芸を言うのだろう。
ばんば舞前半を挟んでソーラン節の替え歌をやるのだが、抱腹絶倒!会場はヤンヤの大喝采!
その興奮を後半では更に盛り上げ、顎が外れる人続出!


こんな状況を会員にも味わって戴こうと、何度か藤秋会の公演にも御呼びしようと思ったが、内容が過激で下ネタが多くちょっとこれは無理だと断念したしだい。


今頃は何処の祭り舞台にいるだろうか?懐かしい。
1938年生まれだと言うから御歳72才。



いつまでもお元気でご活躍下さい。

テーマ:津軽三味線
ジャンル:音楽
神社の奉納演芸はその規模や予算にもよるが、歌い手が3~5人、民謡手踊り、新舞踊、万芸、三味線、尺八などの編成で大体10人位が一般的。

仮設舞台そのものは主催者側が作ってくれるが、音響や舞台幕等は全て持ち込みと成る。何しろこの時期は人手不足に成る為、忙しい日には3ヶ所を掛け持ちなども珍しくなかった。


遠くは山形、岩手の方まで足を延ばす事も多く、夜、舞台を終わり機材を撤収して帰って来ると深夜に成る事もしょっちゅう。
大変だったがこの経験が、大きな自信と成り芸の向上に繋がるのだ。


秋田を代表する民謡スター、小野花子さん、秋田民謡女流横綱と言われた、故、長谷川久子さん、民謡日本一の佐々木常雄さん、千葉美子さん、お隣り、青森、岩手の一流民謡人とも連日の様に一緒に成り、大変勉強に成った。

各種民謡全国大会で、秋田県勢が常に上位を占め民謡大国と言われる由縁はこのお祭りで実力を付ける事に起因している。

民謡日本一を数々排出してきた大きな原動力と成ったこの祭り舞台も時代の推移とニーズの多様化、景気の悪化などにより年々減少。
古き良き時代の伝統が少しずつ消えて行くのは寂しい限りで、私は良い時期に勉強させて戴いた。

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日本列島はお盆モードに突入!
例年はこの時期、必ず秋田にいるが、今年はどうしても所用が有り名古屋に滞在。
逆に家族がこちらに来る事に成ったが折角のお盆なのに招かざる客、台風の進路が心配。

すでに墓参りは先月済ませて来て、事情を妹に詫びて来た。
秋田ではこの時期から来月20日頃まで、夏祭りや神社のお祭りで民謡人は引っ張りだこ。バブルが弾けた事と平成の大合併により、その数はかなり減って来たが、以前は猫の手も借りたい程の忙しさで普段余り出番の少ない二軍までフル稼動と成る。


私も10年程前まではこの時期、フル回転で動いていたが、教室と子供の事を考え卒業、お盆はゆっくり出来る様に成った。


秋田には神社の数が非常に多く、小さな集落にもほとんどと言って良いほど有る。
この時期はその神社の例大祭が集中、奉納演芸として民謡の舞台がかかる。

従ってこの時期民謡人が引っ張りだこと成る訳だが、この舞台経験が大きな力になり、秋田の民謡人のレベルを押し上げる事に成るのだ。


さあそれでは、その祭り舞台とはどんなものなのか?



つづく

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津軽三味線を今日の隆盛に導くきっかけを作った人が、故『高橋竹山』さん。
1998年87歳で亡くなったが、1910年、明治43年の生まれなので、今年が生誕100年に当たる。

5月の藤秋会公演の際、ゲストでお招きした、津軽手踊りの二代目石川久美子社中は、竹山さんと同じ青森県東津軽郡平内町に住んでおり、大変親交が深かったと言う。
お土産に生誕100年を記念して造られた日本酒を戴いたが、何となくもったいない気がして封を切れない。


浅草から秋田に帰って、何度か舞台でご一緒した事があるが、とても温厚で頭が低く、私の様な駆け出しにも優しく接して下さった。演奏の合間に語るその口調は、とても丁寧でユーモアも交え、常にお客様に感謝を忘れない。


その昔、北海道に『かどづけ』(家々の玄関先で三味線を弾き、施しを受ける)に行った時、空腹と寒さで倒れる寸前に、韓国から来ていた人々におにぎりを戴き暖をとらせて戴いたのが、生涯忘れられないと言う。
舞台では、感謝を込めて必ず韓国民謡アリランを弾いた。
やはり、苦労した人は恩を忘れず人にも優しいし、大切にもする。

今はもう忘れてしまったが、竹山さんの舞台での演奏をそっとテープに録り、擦り切れるほど聞いてコピーしたのを覚えている。


没後10年以上過ぎてもその人気は衰える事を知らず、津軽三味線と言えばきっと100年先でも語られる方だろう。
改めてその偉大さを感じる今日この頃だ。


天国でどんな気持ちで現在の津軽三味線を見ているのだろうか?

安らかにお眠り下さい。



合掌

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昨日は我々藤秋会が所属する日本郷土民謡協会、創立50周年記念祝賀会が東京の後楽園ドームホテルで開催。
私の他、総師範の訓栄、訓成、訓音の四人で出席。

半世紀の長きにわたる歴史に触れながら、高齢化していき、年々減少して行く民謡人口をどうやって増やして行くかの課題を頂いた。
民謡評論家、辛口でお馴染み、竹内勉さんが挨拶で50年前と現在では物価が約10倍に成っているので、民謡のレベルも10倍に成っていないと可笑しいとの内容をユーモアを交えお話して会場は爆笑。

レベル、質を上げて行く事は評価される上で重要な事。
しかしながら現実は政権が民主党に移り、事業仕分け等で、小中学校での伝統芸能鑑賞費も半減になったとか、
文化鑑賞は子供達に我が国の芸術文化に興味を持って貰い、後進を育てる為には不可欠で有り、情操教育にも繋がり一石二鳥で有るはずなのに、仕分け人は何を根拠にしているのかしっかり説明をして欲しいものだ。

このまま行けば高齢化で20年後には民謡をやる人が半減、或は三分の一に成るのは明らかで、将来を心から危惧している。
若い人に興味を持って頂き、後進を育成するのが急務で有る事を皆で真剣に考えなければ手遅れに成る。



蒔かぬ種は生えないのだから。

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何年か前から休みを出来るだけ続けてとって貰おうと、祭日の日にちが毎年変わっているが、個人的には固定して頂いた方が、その日は何の日だとの意識が高まって関心が持てると思うが、皆さんは如何だろうか?

今日は成人の日だそうだが、言うまでもなく、この日は今まで育ててくれた親兄弟に感謝し、成人としての志を新たにする日であるはずが、最近のこの日の報道を見るに付け、余りの蛮行に、怒りを通り越して虚しさだけが残る。

あの年頃は騒ぎたいとか目立ちたいのは理解出来るが、何事も程度問題で有り、あそこまで行くと呆れてものが言えない。

あの行動を見て何も出来ない当局や主催側にも多いに問題があり、甘やかさずにもっと毅然とした態度で善悪に対処すべきで有ろう。

他の国に成人式が有るかは知らないが、多分本来は神聖で有るべき式典がこの様な有様なのは日本だけだろう。お隣の韓国では二十歳に成れば徴兵制度で嫌が応でも軍隊に行かなくては成らないので有る。

今年こそは国民皆が、眉を細めて若者の新しい門出を心から御祝い出来る日に成って欲しいものだ。

先日三重から帰ってきてテレビをつけたら、鹿児島の横峯さんと言う方が幼稚園児の教育法として、常に自然に触れさせ、自然から多くを学ばせる。
また、園児にレスリングを教えていて近くの幼稚園、三園で対抗試合をやっているのが放映されていたが、ご覧に成った方もいると思う。

我々小さい頃は遊びと言えば皆、外に出て自然を走り回っていて、常に擦り傷が絶えなかったが、現在の子供達の遊びは家の中に篭り一日中ゲームに興じている。

幼稚園でレスリングなど怪我をするから絶対やらせないのが現代のお母さん達だが、対抗試合を見て、これこそが子供に対する、本当の教育だと思った。

勝つ事により、努力する大切さを学び、自分に自信が持てる様に成りもっと成長するし、逆に負ける事により勝ちたいと思う競争心が生まれ成長する。

五人のチーム対抗だったが、仲間が負ければ、慰める気持ちや、思いやる気持ち、その人の分まで頑張ろうと思う連帯感や責任感も生まれる。

子供は自然から多くの事を学び、正しい教育で成長して行くんだなあと改めて感じた。

過保護では子供は成長しないし正しく叱る事も子供の成長には不可欠。
現代に欠けている大変大事で良いものを見せて頂いた。

三味線も過保護にしすぎるといけないので、もっとビシバシやらなくては??

武道館観戦記で秋田、岩手県勢が群を抜いている事は一昨日のブログで紹介したが、両県と互角に渡り合えるのが北陸は富山県勢だ。
此処は唄部門、踊り部門でも、過去に多くの内閣総理大臣賞を出していて、特に成績を残しているのが、富山県を代表する唄、『越中おわら節』で有る。

この唄の特徴は、まず、息が続かないと絶対に唄えないし、頭のてっぺんから声を絞り出す様な、独特の歌唱法で、中々の難曲とされている。

胡弓の響きが何処か物悲しく、山あいの情景をそのまま想像出来るような、大変良い唄で有る。

故にコンクールに成ると、これが実にくせ者なのだ。
完璧に唄い、これは絶対行けるだろうと思っていても、その後にこの唄を若い声に張りの有る女性に唄われると、点数を見るまでもなく、ほぼ逆転されてしまうのだ。

私は越中おわら節が何故、あんなに点数が上がるのか今だに疑問で有るし、毎回その事が話題になる。
節回し等は遥かに秋田や岩手の唄の方が難しい。

きっと理屈では計り知れない魅力か魔力が、この唄には有るのだろう。

私はプログラムを見る時、『越中おわら節』が、まず何処にいるか、探す。
これが、後にいる時はそのレベルにもよるが相手が自滅しない限りかなり難しい。

また、このおわら節の全国大会も富山で毎年行われているだけあって、富山の民謡界の力の入れようも、半端では無いから尚更なのだろう。

今後、全国大会を目指す方々はこの越中おわら節が自身の勝敗に大きく左右する事を、お知り起き頂きたい。

三味線の原材料の紅木は、世界中で一箇所だけ、インドにしか有りません。


自然木の為、その数は年々減って来ており、特に良質の材料は大変希少価値に成り、価格も高騰しているのが現状です。


此処にきて、その心配を更にあおる問題を抱えています。


それは中国の経済発展。

富裕層が紅木の家具や装飾品を作る為に、大量に材料を買い占めるように成りました。


三味線の材料にするのは、良い所しか使いませんが、中国人は、端材も含めて全て買います。
しかも大量に買いますから当然、現地では中国人が優遇される事に成り、日本人が競り勝つ為にはそれよりも高い価格で買わされる事に成ります。


この様な事情により、今後の価格が心配に成って来ているのが現状です。

今後の市場経済は、全てにおいて中国の消費が大きな鍵に成ります。

好きな津軽三味線を続ける為に、良い物は大切に使いましょう。

少子高齢化が日本の将来を危うくしている。
各方面で子育て支援に力を入れ、産む環境を整え様としている。

そんな折。我、藤秋会総合病院 の医師が、興味深い話しをしてくれたので、ご紹介しよう。

先日来、 携帯電磁波の話をしてきたが、
携帯電話をズボンのポケットに入れていると電磁波の影響で、子種が減少してしまうそうだ。

ええ?そうなんだ。

最近の若者に不妊が多いのは、実はこの影響が大きく、女性側より、男性側に問題が有ると言う。

成るほど、これは知らなかった。

医師の話なので説得力が有るが、子供を欲しい男性は、参考にされたい。

しかし、この事が事実とすれば、少子化担当大臣まで置きながら、何でこんな大事な事をいの一番に言わないのだろうか?

良くわからないが、取り上げられない事情が有りそうで仕方ない。

衆議院選挙、事前の予想通り民主党が圧勝した。

とにかく、現状から変えて欲しいとの国民の叫びが、この結果に成ったと思うが、新しい政権には、この事実をしっかり捉えて、公約を実現して頂きたい。

経済が良く無ければ、ゆとりを持てない。
ゆとりが無ければ、我々の分野も発展しない。
新政権に心から期待したい。

それにしても、自民党は、元総理や、閣僚経験者の大物議員もバタバタと落選。


栄枯盛衰、おごれる者久しからずか。

この選挙戦をしっかりと教訓にしたい。

私と同年代の方は、ご記憶有ると思うが、その昔、四つのお願いと言う歌が有った。

一昨日、妹の13回忌に、私は厚かましくも四つの事を墓前でお願いした。

人はどんな人でも悩みとか願いが有るので全ては明かせないが、その一つは、藤秋会の今後の発展。

後の三つは真剣に悩んでいて、毎日その事が頭から離れなかった。

妹が旅立ってから、苦しい時は常に助けて貰うだけだったが、なんと驚いた事にその内の一つがお参りしたその夜に、もう一つは昨日解決したのだ。


残る一つは時間がかかる事なので直ぐに解決とはいかないが、何と不思議な事だろう。


世の中は科学で解明出来ない事が有ると良く言われるが、ご先祖様に感謝し、身内の霊を常に心の中で思ってあげれば、こんな事が起きるのかも知れない。

これでまた頑張れる。
合掌

今朝の秋田は、肌寒い。

お盆休みも終わり、今日からまた慌ただしい生活に戻った方も多い事だろう。

秋田はお盆が終わると日に日に寒くなり、肌はその変化を敏感に捕らえ、まるで人間温度計の如く反応する。

昨日の16日は県内各地で、短い夏の最後。
送り盆まつりが行われていたが、先祖の御霊をしっかりと供養し直ぐ目の前の秋の収穫を祈念するのである。

津軽三味線の先人達。始祖、 二太坊、に始まり、名人と呼ばれた方々。

白川軍八郎、 高橋竹山、 木田林松栄、 福士政勝、 藤田淳一、

そして我が秋田が生んだ、秋田三味線名人、浅野梅若。

それぞれも13日の迎え火で我が家に帰り、昨日の送り火で再び、黄泉の国に帰った事だろう。

ひょっとして今夜は、黄泉の国の名人達の競演が夢で見られるかもしれない。

合掌

先日のブログに、1日に行われた津軽三味線名古屋大会の、観戦記を書いた。

我が藤秋会の訓音と栄知の結果(採点表)が送られて来たと言うので、ファックスしてもらい、見た。

私の思いは先日書いた通りだが、採点項目の中で、どうしても一つ疑問が消えない。

それは調弦の項目だ。
満点が10点なので、完璧に合っていれば、10点と言う事に成る。

ただし、サワリの問題等も有るので、ただ三本の音だけが合っていれば良い話では無いとは思うが、優勝した方でも、七人の審査員の内で最高が7.2。
最低が5.1。

どうして調弦でこんなに開きが出るのだろう?

私の耳では上位三人の演奏はほとんど差が無いと思ったし、糸は合っていた。

以前私の会にいた三位の鈴木利枝の点数は、最高が同じで最低が4.8である。

実にその差が2.4も有る。
これは果たしてどう理解すれば良いのだろうか?

多分これは調弦の定義の問題だと思う。


審査員を努められた先生方は、私も尊敬出来る一流の先生方で有るが、大変失礼乍、調弦に関して言えば、入賞した六人と極端には違わないと思う。

違わないと言うより違い様が無いので有る。

他の項目に関してはそれぞれの捕らえ方が有るので、理解は出来るが、この事に関しては述べた様な理由から、その基準が解らない。

それでは10点満点の調弦とはどの様なものなんだろう???

そこで整理すると、

主催者は調弦の定義をしっかり表わし、ポイントを事前に選手に伝える事が出来れば、もっと親切だったし、この項目に対して疑問は残らなかったと思う。

皆さんはこの件に関して、どの様に考えるでしょう?

来年に期待したい。

今日は64回目の終戦記念日。


あの戦争では、300万人以上の尊い命を失ったと言う。

今日の日本の平和と繁栄は、その方々の耐え難い犠牲の上に成り立っている事を決して忘れてはならない。

大好きな三味線を再び弾ける日を夢見て、戦場に散った方々もいた事だろう。

今日もこうして津軽三味線を弾ける事に感謝し、英霊に心からの哀悼の真を捧げる。

合掌

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津軽三味線の神様 白川軍八郎先生が誕生して、今年で100周年だそうだ。
53歳の若さで亡くなっているので、丁度今の私の年齢である。

さすが、神様と言われるだけの方で、今現在津軽三味線を弾いている皆さんの奏法は、この先生が編み出した奏法が基本に成っている。
今聞いても、その旋律と鮮やかで、小気味良い手の使い方は、称賛に値する。

私も若い頃は必死に成ってその手を真似しようと頑張ったが、手が細か過ぎて、難しく大変苦労して覚えた記憶がある。

勿論ご本人にはお会いした事はないが、修行時代にお世話に成った、藤田淳一先生や山田百合子先生から、その素晴らしさを度々お聞きすることが出来た。
白川先生の事は、津軽三味線の歴史家として著名な、弘前の大條和雄先生の著書などに載っているので一読されたい。

さて私は初代先生の三味線は勿論好きであったが、息子さんの二代目、白川軍八郎さんの津軽民謡が大好きだった。
中でも父親の三味線を唄いこんだあいや節は忘れられない。

藤秋会の15周年記念公演の際、秋田にお呼びし、そのあいや節を伴奏させていただいたが、あまりの感激で涙が出て来た。
その二代目先生も何年か前に旅立たれたが、今頃天国で、初代の三味線で二代目が唄う、親子競演、 そんな光景が見られるかも知れない。

とどけ天まで一の糸。
お二人のご冥福を心からお祈り致します。 合掌

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昨日津軽三味線競技会名古屋大会を覗いた。
女性の部に加藤訓音と加藤栄知が出場したのでその応援も兼ねてだ。
二人とも課題は尽きないが、まあまあ、頑張って弾いたと思う。
今後に期待したい。

大会を見て感じた事だが、まず驚いたのは、若い方が非常に多かったのにびっくりした。
成る程、指導者に若い先生が多く成っているので、若い先生には若い人が集まるのは頷ける。
邦楽全般が下火に成っているのに、津軽三味線が若い方々に支えられているのはとても嬉しい事である。