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★津軽三味線『藤秋会』家元★加藤訓の公式ブログ

今年で芸歴62年を誇る北海のエンターティナー【松村一郎】さんを招き、藤秋会と一緒にクリスマスを楽しんでいただこうとの企画、【松村一郎涙と笑いのクリスマスライブ、津軽の響きin関ヶ原】のチケットがいよいよ明日から発売される。

松村一郎さんと言えば【帰って来いよ】で一斉風靡したあの松村和子さんのお父さんとして知られているが、津軽民謡、津軽三味線の世界でこの方の世話にならなかった人はその世界では認められてないも同然、過去から現在の名人大御所から若手まで、全てこの人のお世話になって来たと言っても過言ではない。


藤秋会では以前、秋田や名古屋、三重にも何度もおこしいただき盛り上げていただいたが、松村先生も御歳81歳、その卓越した芸の真髄を是非多くの皆さんに楽しんでいただきたいと思い企画した。

出演は他に北海道からピリカさん、藤秋会IWAKI、関ヶ原訓京会と関ヶ原民踊クラブ、そして藤秋会の皆さん。

日時 12月24日(水)
会場 関ヶ原ふれあいセンター
チケット 全席自由 3000円

チケット取扱い

関ヶ原ふれあいセンター 0584-43-2233

大塚京子(加藤訓京) 090-4792-4886

チケットは早期完売が予想されますのでお早くお求め下さい。
皆さんのお越しをお待ちしております。

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昨日秋田から名古屋空港に下りたらまだまだ汗ばむほど、気温は何と30度!

夕方からANAホテルで全国会議のアトラクション。
出演者は総勢24人。
6時過ぎから45分のショーをこなしてその後皆さんで食事。
藤秋会の合奏が揃っていると言われる秘密はこのノミニュケーションにある。
【稽古はどこよりも厳しく、飲み会はどこよりも楽しく】は藤秋会長年の伝統で、このノミニュケーションによりお互いを知り、信頼を高める。
結果、演奏時のプレッシャーを分け合い、良い演奏に繋がる。

夕べもたっぷりと信頼を高めましたので次回の演奏は更に期待が持てます。

皆さんお疲れ様でした。

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いよいよ来週の土曜日(4日)国民文化祭が秋田で開幕する。
全国の民謡団体がお国自慢を競う民謡DAYは5日に県南部、横手市ふるさとドームで行われるが、昨日はその最終稽古。

ホスト役である秋田県民謡協会は民謡王国ならではの息のあったショーをお届けする。
仕上がりは上々、あとは本番を迎えるのみ。

終了後に来月25日に日本武道館で行われるオリンピックプレゼンテーションの練習。
こちらも前回よりも更にレベルアップしてて全く不安が無い。
全国から続々と経過が報告されてくるが、それぞれ順調の仕上がりの様でありがたい。

1ヶ月を切りさあいよいよ最終段階に入って来た。

オリンピックへの夢はみんなの手にかかっている。

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物事は待っていると長く感じるが過ぎてしまえば時の経つのは早いものだ。
あの東日本大震災から三年半も経過した。
その時いち早く日本のために義援金を集めてくれたのは台湾だった。

今日は大分前に友人から送られてきた感動秘話を温めておいたのをご紹介しよう。
少し長いが是非読んでいただきたい。
感謝する心の大切さをあらためて感じていただけると思う。



★★200億円!! 東日本大震災の被災者を案じ、台湾の人たちが送ってくれた義捐金の額だ。
9割は一般人からの寄付だった。

台湾では、地震発生直後から、テレビで緊急特番を放送。
多くの有名人や政治家、総統までもが日本の危機的状況を訴え、支援を呼びかけ続けてくれた。

なぜ台湾の人たちは、そんな大金を日本のために送ってくれたのか?
それは、日本をとても愛してくれているから…。
その裏には、台湾人なら誰もが知っている物語があった。

……1895年、日清戦争に勝利した日本は、台湾を治めることになった。
日本は、国内の食糧不足を補うため、台湾の農業強化を打ち出した。
しかし、台湾一大きな嘉南平野は、作物がほとんど取れない。

原因は水事情の悪さ。
乾季は日照りで飲み水さえないが、雨季には洪水が絶えず起きるという有様。

そこに、日本から土木技師として派遣された男がいた。
【八田與一】。
彼はダムを建設するため、水源や地形の調査にやって来たのだ。
台湾総督府に上申する八田。
[ダムに最適な場所は、ここ、烏山頭(うさんとう)地区です。
大規模なダムが造れます」

が、台湾総督府は難色を示す。
「こんな大きなダムは不可能だ!もう少し規模を小さくしなければ」
食い下がる八田。
「それでは水量が少なく、平野全体に水が行き渡りません」

「しかし予算がない…」
「一時しのぎではダメです。農民たち全体が豊かにならなければ、造る意味がありません!」

工事費用は莫大で、台湾総督府総予算の3分の1にもなる。
金額的にも規模的にもあまりにも大きすぎて、誰も本当に実現するとは思わなかった。

しかし、小さいダムでは水が行き渡らず、住民の格差が生まれてしまう。
彼は自分の思いを曲げず、計画書を何度も練り直した。

3年後の1920年、粘り強い交渉の末、八田は、費用の半分を農民たちも担うことを条件に、ダムの建設許可を勝ち取った。
ところが、地元住民は大反対。
「なぜ我々がお金を負担しなくてはいけないんですか!」

八田はダムの必要性を必死で説いた。

「ダムができれば必ず豊かになる。皆さんの子供や孫たちの世代が、安心して暮らせるんです」

「僕たちは騙されないぞ!」
住民の無理解など、問題を抱えつつ、何年続くか分からないダム建設がスタートした。

日本人・台湾人合わせて約2000人が、険しい山奥での力仕事に従事。
しかし、衛生状態も悪く、労働環境はまさに最悪だった。
そこで八田は、環境改善のため、上司に要請。
「家族と住める宿舎を作って下さい」
「何を言ってるんだ。我々が必要なのは労働力。女、子供は必要ない」
「しかし、家族と離れ離れでいい仕事などできるわけありません!」

八田の要請が受け入れられ、工夫(こうふ)が家族と一緒に住めるよう、工事現場の近くに小さな町が作られた。
そこには、学校や病院などの公共施設や、映画館やテニスコートなどの娯楽場もあった。
集会所に集まってゲームをしたり、定期的にお祭りを開いたり、工夫たちはここでの生活を心から楽しむことができた。

台湾の工夫たちとも家族のように接する八田。
上からではなく、同じ目線で仕事をする彼の姿勢に心を打たれ、台湾の人たちも次第に心を開いていった。
地元の反対も弱まり、全てが上手く行くように思われた。

そんな時…… 1923年、関東大震災が発生。
日本は、台湾のダム建設どころではなくなった。
八田は、台湾総督府からダムの建設予算の大幅カットを言い渡される。
「台湾人半分のクビを切って、何とか工事を続けてもらえんか?」

この噂は台湾人工夫たちの間にも広まった。「俺たち、そろそろクビらしいぞ」 「そうらしいな…。日本人が優遇されるのは仕方がない…」
ところが、何と八田が解雇したのは日本人ばかりだった。
台湾人工夫たちは驚き、なぜ自分たちを優遇して残したのか、その理由を尋ねた。
すると八田はこう答えた。

「当然ですよ。将来このダムを使うのは君たちなんですから」
日本人は日本でも仕事ができる。
台湾人はこの地でずっと生きていく。
自分たちのダムは自分たちで造ってほしい。それは八田の思いだった。
工夫たちは、八田を心から信頼するようになった。


そんなある日……

ダムの現場で爆発事故が発生。
死亡者50人以上、負傷者100人以上の大事故だった。
八田は、取るものも取り敢えず急いで遺族の家に駆けつけた。
土下座し、遺族に詫びる八田。

「申し訳ございません!あなたのご主人を殺したのは私です!」
大切な人の命を奪ってしまった。
いくら謝っても謝りきれない……。

未亡人はしかし、八田にこう話しかけた。

「八田さん、頭を上げて下さい。主人は、ダムの仕事を誇りに思っていました。八田さん、どうか立派なダムを造って下さい!」
亡くなった工夫たちは、自分と同じ思いを抱いていてくれた。
家族にも語ってくれていた。

八田は決意を述べた。「必ず、必ずダムを完成させてみせます!」多くの仲間を失いつつも、残された人々は懸命に工事を続けた。

そして1930年、10年の歳月を経て、ついに東洋一の大きさ(当時)を誇る烏山頭ダムが完成。

不毛の地と言われた嘉南平野は、米・サトウキビなどが豊富に獲れる、台湾一の穀倉地帯へと生まれ変わった。

台湾の人たちは、ダムを見渡す丘に 八田の銅像を建てた。
それは、考え事をする時の姿。
八田の物語は、台湾の教科書に載っていて、今でも彼の命日には、毎年ここで慰霊祭が行われている。

今回、日本に送られた200億円の義捐金。
それは、70年の時を経て、八田への思いが恩返しの形で届けられたのかもしれない……。
台湾の教科書に載っている日本人の物語

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今日のブログは友人から送られて来た名言を久しぶりにご紹介します。


☆苦しくなってきたら、ワクワクすることです。
楽勝なところでは、今までの力でなんとかできるので、自分を高められません。
苦しい場所では、今までの自分の能力で対応できないことに初めてチャレンジできるのです。


☆毎日楽しいことばかりでなく、しんどいこともたくさんあると感じることが、
その人が成長している過程です。
中谷彰宏(作家)


以前も言いましたが、三味線の練習はしんどいと感じて前に進まない時が実は積み立て貯金に例えれば積み立て中です。
そこを我慢して諦めず続けて頑張れば、やがて満期になって欲しかった物を買う事が出来るのです。
絶対に諦めない気持ちと続ける事が、結果に繋がります!

頑張りましょう!!

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同じ兵庫県で仕事をしている関係もあり、神戸の小学生の事はずっと気になっていたが、最悪の報道に強い憤りを覚える。
しかもあの小さな体をバラバラにして。


逮捕された47歳の男は近隣住民とのトラブルが絶えなく、警察沙汰になる事が何度もあったと言われる問題人間。
このような事件が起きると、もっと早く対処できなかったのかと悔やまれるが、昔は悪いヤツがいると周りが皆で注意したり叱ったりするのが当たり前で、それが犯罪抑止に繋がってもいたが、地方も段々と都市化されコミュニティが崩れていき、事なかれ主義になってしまって、何をやっても注意もしない時代になってしまった。

今回の事がもしも自分の子供だったらどんなにか悲しかったか。
まだこれから沢山の夢を持って生きて行くはずだったその子を思うと、何とも痛ましくやるせない気持ちだ。
今回の事件も防犯カメラの映像が決め手になった様だが、カメラに頼る前に、社会のありかたをしっかりと見直す必要がありそうだ。
心からご冥福をお祈り致します。

合掌

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秋田に帰ってくるとどこか落ち着く。
ちょうど鮭が生まれた所に帰ってくると同じで回帰本能だろうか。
昨日は来月武道館に行くメンバーで合同稽古。
秋田藤秋会からの武道館出演者は12名。
交通機関が発達したとは言え、秋田にいて東京に行くとなると中々大事で、皆さん色々と準備が大変らしい。

そこで大活躍してくれてるのが入門21年、教室を纏めている師範の訓信(さとのぶ、前列右から二人め)さん。
几帳面でしっかりと段取りをしてくれ万全。
みんなで旅程表をながめながらワイワイ、心は武道館へ。


プレゼンテーションまであと1ヶ月。
もうひと頑張りだ!

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秋田は本格的な秋の気配、黄金色に稔った田んぼと山のコントラストが上空から眺めると実に綺麗だ。

最近は朝晩の冷え込みが厳しいと聞いて帰って来たが、現在の秋田は14度と過ごしやすい。

夕べ、近所の居酒屋に行ったら日本酒のメニューにあれっ?
これはなんだろうと目にとまったところが、写真カッコ内の日本酒度と書いてあるところ。

日本酒大好きな私だがこれは今まで知らなかった。
これは日本酒の甘口、辛口の目安で、マイナスが甘口、プラスが辛口だそうで数字が大きくなるにつれその度合いが強くなるそう。

ただし、味覚はそれぞれがみんな違うので、【日本酒度が+7であろうと、飲まれる方が甘く感じたらその酒は甘口です】
これは蔵元さんの話だそうだが、まさにその通りですね。


ちなみに日本酒の甘辛の違いは、辛口は口当たりがスッキリした印象で、甘口は口当たりがやわらか(まったり)した印象だとか。
秋田は全国に誇る酒の国、熱燗がおいしい良い季節になりました。
ご参考までに。

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夕べ10時から、船越英一郎の【ソロモン流】は、今年歌手生活50周年をむかえた五木ひろしさんの特集。

何と! それに私と訓栄が5秒ほど映ってました。
5月31日の福井県美浜町で行われたコンサートに藤秋会が出演させて頂き、帰る前に五木さんと奥様にご挨拶してるところが映ってました。

私と訓栄の挨拶の場面など映す必要などなかったでしょうが、おそらく五木さんが気を使ってくれたのでしょう。

それにしても、あらためて五木さんのやっている事を見ると、常に新しい物を追求し挑戦する姿勢にはただただ感服です。
しかも御歳66歳で私よりも9歳も上であれをやり遂げてしまう。
とても誰も真似の出来ない事です。

今年はイタリア語でオペラにも挑戦し見事にやり遂げた。
番組最後にはオペラ座でオペラをなどと言ってましたから、五木さんだったらパリの国立オペラ座で本当にやっちゃうかも知れませんね?

健康に留意され益々の御活躍を祈念致します。

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久しぶりに兵庫県たつの市の訓夢(さとゆめ)会にお邪魔し、プレゼンテーションの集中稽古を行った。

今回訓夢会からの武道館参加は11名だそうで、仕上がり状態も中々良い感じで、皆さん本番を非常に楽しみにしている。
訓夢会が発足して13年になるそうだが、様々な苦労を乗り越え努力の甲斐あって、今ではたつの市の文化の発展に大きな役割を担えるまでになったのはうれしい。

地元のイベントやボランティアにも積極的に参加をし実践を積んでるせいか、舞台衣装もしっかりと着こなしが出来ている。

ご覧の写真は今月15日、たつの市、赤トンボホールで敬老会に出演した際のワンショット。
後列真ん中の方が、花街の母で知られる演歌歌手の【金田たつえ】さん。
北海道出身で民謡にも大変造詣の深い金田さんからもお褒めの言葉をいただいたと皆さん大変喜んでいた。

今後益々の活躍が期待される訓夢会です。

頑張りましょう!

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先日のブログに、五十肩のお話をした際に、江戸時代に五十肩があったら侍は刀を使えず大変だったろうなどと馬鹿な話を載せたが、これに対し昨日なるほどと思える解答をした人があった。

統計に依ると日本人の平均寿命が五十歳を過ぎたのが1947年。
江戸時代は平均して五十歳まで生きる人は少なかった。
五十肩の定義は四十代後半から始まって五十代にピークを迎え、六十代まで見られると言う。
したがって寿命が今よりはるかに短かかった江戸時代は、たとえいたとしても年齢からしてまれだった事が想像できる。
だから侍の五十肩はあまり心配はいらなかったようだ。


なるほど、一つ勉強になりました。
くだらないかな??

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ご覧の写真の地名は何と読むのでしょう?
昨日、姫路の皆さんといつも食事をするところに写真が展示されていて、その下の読みを聞かれたが???宍粟市?

う~ん?わかりません。
これは【しそうし】と読むそうで、姫路から北に1時間ほど行ったところだそうで、古い話だが戦時中に疎開しててここでその後育ったと言う方が大師範の訓昭(さとあき)さん。
彼女いわく、日本で一番読みにくい字だとか?
さて、皆さんはわかりましたでしょうか?

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東京教室の訓越(さとえつ)さんは入門15年のベテラン、自らも訓越会の会主として頑張ってくれてる。

彼女は三人の娘さんを持つお母さんだが、真ん中のお嬢さん、和香奈さんが、オリンピックプレゼンを目指して奮闘中。
弱冠たれ目の訓越さんだが、昨日は余程うれしいのか、いつにも増して目じりが下がっているお母さんです。

プレゼンテーションまであと1ヶ月。
和香奈さん頑張りましょう!

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3日続いて関ヶ原の話題。
先日関ヶ原町にお邪魔した際に、わざわざ【西脇康世】町長が稽古場の公民館を訪ねてくれた。
12月24日に関ヶ原ふれあいセンターで行われる、【松村一郎クリスマスコンサート】のお願いを快諾してくれたが、関ヶ原といえば1600年に行われた合戦の話に自然となる。

町の知名度は抜群なのでこれでもう少し観光客を誘致出来ないのかと尋ねたら、歴史的に重要な意味を持つ場所なので勝手にいじれないそうで中々思いきった事が出来ないそうだ。
しかしながら、この戦を機に徳川が300年の長きにわたりつづき、その間鎖国をした事で日本の文化が純粋に培養された事は大変良かったのでは。

もしも西軍が勝利してたらある意味違った日本になっていたかもしれない。
そんな意味からも関ヶ原の合戦は重要な分岐点ではなかったのかと町長は言われた。


なるほど、そんな見方があるんだなと感心したが、そんな思いを胸に関ヶ原を訪れてみるのも良いかもしれない。

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関ヶ原訓京会の京雪(きょうせつ)さん。
ただ今五十肩になり大好きな三味線を弾けない。
それも症状が重症で大分長引いてるが、一昨日の稽古にはきちんと顔を出してくれ、その後の食事会でその話になった。

いったい五十肩はいつ頃からあったんだろうか? これって現代病?
もしも江戸時代にこの病気になったら侍は刀を使えなかったんじゃないの?
何ともユニークな発言が飛び出したが、なるほどそれは一大事!

例えばこんな事が考えられる。

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☆果たし状

加藤京雪 殿

かねてからの遺恨あり、お主に決闘を申し込む。

10月3日丑の刻、〇〇河原に来られたし。

加藤訓右衛門
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☆果たし状しかと受け取った。
潔くお主の決闘を受けたいところだが、拙者ただ今五十肩で刀を操るのがままならない状況ゆえ、武士の情け、今しばらく延期をお願いつかまりたく候。

加藤京雪

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こんなやり取りがあったかもしれない??
京雪殿、早く治るよう祈ってますよ。

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