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★津軽三味線『藤秋会』家元★加藤訓の公式ブログ

人の一生では様々な事に遭遇しますが私の58年の歴史でこんなに悲しい事はありません。
昨日1時から、お世話になった、藤秋会会長【不破利兼】岐阜日本ガード名誉会長の家族葬が行われた。
本来家族葬は身内だけで一般の方はご遠慮するが、私と訓栄は特別に出席を許された。
不破会長を親と慕う岐阜選出の野田聖子衆議院議員も東京から駆けつけました。


朝から降りしきる雨が涙雨として悲しみを一層大きくし、自分ではどうしようも出来なかった悔しさが残る。
いくつもの肩書きを持っていて多忙な方だったが、最後の行事の出席が、先月8日に名古屋で行われた藤秋会の新年会。


その後に体調が思わしくなく、検査入院で1週間ほど入院するつもりが、24日に体調が急変し、意識が必ず戻り絶対生還すると信じていたが、願い虚しくついに帰らぬ人となってしまいました。

ご本人も直ぐに退院出来ると思ってたらしく、遺書めいた物は家族にも何も無かったそうですが、意識がもうろうとする中で最後まで心配してたのが藤秋会の事だったと奥様から昨日伺い、もう言葉がありませんでした。

新年会の時に昨年武道館で行われた津軽三味線1000人弾きの影像を視て涙してたのが忘れられません。


安らかにおやすみ下さい。
今まで本当にありがとうございました。

合掌

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長きにわたって藤秋会を支援して頂いた、藤秋会会長、日本ガード名誉会長【不破利兼】氏(82歳)が一昨日お亡くなりになりました。

不破会長は日本の警備業界で初めて叙勲を受けられた方で岐阜では名士として名の通った方でした。

先月の8日に会の新年会にお越しいただいたのが最後になりましたが、24日にまさかの突然危篤の知らせを受け、必ず生還すると信じ祈っていましたが、願いも虚しく帰らぬ人になってしまいました。
筋金入りの叩き上げで自分に厳しく誰からも尊敬され、三味線が大好きで、オリンピックまでは頑張るからと約束したのに、本当に残念です。

ついこの前までお元気だった方が棺の中に入ってる現実は今だに受け入れがたく、お顔を拝見し涙が止めどなく流れ落ちるのを押さえる事が出来ませんでした。


こちらは今朝は雨です。
涙雨が一層寂しさをつのらせますが、今日は最後のお別れ。

しっかりと御送りし、もう泣かなくても良いように雨と一緒に涙も枯らしましょう

無念です。 合掌

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21日の誕生日を秋田で祝ってもらい、昨日またまたサプライズ!

先月から始動した新たな教室、兵庫県、高砂教室で稽古終了後にこんな演出をしてくれ、1週間遅れの誕生日を祝ってくれました。
線香花火が燃えて、なるほど色々な盛り上げ方があるものだと感心しましたが、心に残るセレモニーでした。


誕生日を祝ってくれたからほめる訳ではありませんが、稽古はまだ2回目ながら、仕上がりは非常に良好!

将来が大変楽しみな高砂藤秋会です。

皆さんありがとうございました。

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13日に仙台のイズミティ21で収録したNHKの【北国からのコンサート】での事。
秋田の訓浩(さとひろ)さんの三味線が収録前の稽古中に破れた。

三味線は非常にデリケートな楽器なので、そんな事もたまにはあるがよりによってテレビ収録の日に破れなくても。
しかし、破れましたから人数を一人減らしますなどと言って駄目な事は当たり前の事。
そんな事を想定して、当日は仙台と言うこともあって地元の宮城藤秋会に予備三味線をお願いした。

そして予備三味線として持って来てくれたのが、今は亡き、宮城藤秋会の代表を努めてくれてた師範、訓實(さとざね)さんの三味線だった。


亡くなってから来月の15日で丸3年。
奇しくもご本人ではなく訓實さんの三味線ではありますが、地元宮城県のNHKに出演したのであります。
何か不思議な感じがしますが、この番組が仙台で行われた事を考えると、藤秋会を引き寄せてくれたのは亡き訓實さんだったのかも知れませんね。

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世の中にはいろんな事を考える人がいるものだと感心した。

先日、私の誕生日に皆さんがご覧のケーキを用意してくれたが、実はこのケーキは全て和菓子で出来ている
薔薇の花をあしらったり、色彩も華やかで芸術性も高く、台の部分はあんこがぎっしりと詰まっていて、これぞ日本のケーキという感じ。

和菓子と言えばちょっと値段が張りそうなイメージだが、これで3200円だと言うからメチャメチャ安いのではないか。
ケーキは何も洋風でなくても良い。
これは海外でも日本のケーキとして評判になりそうなので売り込んでみたらどうだろう?
ちなみにこのケーキは秋田の湯沢市の和菓子屋さんが作ってくれたそうで発送もしてくれるそうだ。

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数日前に忠犬ハチ公の話題を載せたが、友人がそれを見てこんなのもあるよと、より詳しいハチ公の情報を提供してくれた。
少し長文だが、感動のお裾分けをしたい。


★東京・渋谷駅の待ち合わせ場所としても有名なハチ公前広場。
そこに置かれているのが、忠犬ハチ公の像です。

ハチは、飼い主が死亡した後も、駅前で飼い主の帰りを待ち続けた「忠犬」として知られ、
最近ではその物語がハリウッドでリチャード・ギア主演で「HACHI」という映画にまでなりました。

ちなみにリチャード・ギアといえば、ジュリア・ロバーツと共演した「プリティウーマン」が有名ですが、
この映画は、昭和39(1964)年に世界的大ヒット映画となったオードリーヘップバーンの「マイフェアレディ」が下地になったリメイク作品でし
た。

さて、映画化されたり本になったり、洋画でリメイクされたりと有名な忠犬ハチ公の物語ですが、ハチが渋谷駅前で待っていた飼い主が、これまた実在の人物で、東大農学部教授だった上野英三郎(うえのひでさぶろう)博士です。

上野博士は、三重県津市のご出身で、お生まれは明治28(1895)年です。
東大農学部を卒業し、そのまま大学院を経由して東大の教授となりました。

教授が専門としたのが「農業土木」です。
これは各個人がそれぞれ所有する農地を、合算して広大な農地とし、農業生産を担う集団的経営体の育成を図りながら高生産性農業の展開に必要となる生産基盤を整備し、食料自給率の向上に資する事を目的とする学問です。

農業土木の分野は、農地の区画整理、用排水施設、農道、客土、暗渠排水路の設営、共同経営隊の組成と運営と非常に広範なもので、上野英三郎博士は、その分野の創始者となった方です。

この農業土木の分野を創設した上野博士の教え子は3000名を超えると言われ、その思想は高橋是清の積極財政出動による公共投資における農業振興政策に幅広く応用されています。
上野博士は実に立派な方だったわけです。

その上野博士は、大正13(1924)年、秋田犬を購入します。
そして「ハチ」と名付けました。
元来犬好きだった上野博士は、ハチをことのほか可愛がります。
そして可愛がられたハチは、上野博士が出勤する際、いつも博士を渋谷駅まで見送りに行くのが日課となります。

ところが、その翌年5月21日、いつものように見送った博士が、大学の教授会の会議中に脳溢血で倒れ、そのまま急逝してしまいます。
いつまでも帰らない主人を待って、ハチは3日間も何も食べませんでした。

25日には、上野博士の通夜が松濤の上野宅で行われたのですが、その日もハチは上野博士を迎えに、渋谷駅まで行き、駅から降りて来る人々の中から、博士の姿を探しながら、じっと帰りを待っていたそうです。

一方主人を失った上野家は、松濤の家を引き払い、ハチは、日本橋にある上野博士の奥さんの親戚の堀越宅にもらわれていきます。
ところがハチはなかなかその家になつきません。

やむなくハチは、浅草の親戚に引き取られることになるのですが、そこからも脱走して、渋谷まで一匹で行ってしまいます。
そこで上野宅に出入りしていた植木職人の小林菊三郎さんに、ハチは面倒をみてもらうことになるのですが、ハチは、代々木にある菊三郎さんの家から、毎日、渋谷駅まで上野博士を迎えに行ってしまいます。
そして腹が減ると、菊三郎さんの家に帰り、食事を済ませるとまた渋谷へ、という日々が続きます。

そのとき、ハチは、渋谷駅に向かう途中で、必ず旧上野宅に立寄り、中をのぞいていたといいます。
こうして、渋谷駅前で、ハチの姿は毎日見られるようになります。

ところが、人なつっこいハチは、しばしば通行人に棒で叩かれたりしていじめられます。またあるときは、野犬捕獲人に捕まったり、またあるときは渋谷駅の小荷物室に勝手に入り込んで、駅員に追われたり、またあるときは、子供のいたずらなのでしょうか、顔の目のところに、丸く墨で書かれたり、あるいは八の字髭を書かれたり(これにはみんな笑ったそうですが)などもしたそうです。

いちばん辛いのが、渋谷駅前の露天の屋台のお客さんや、屋台のオヤジさんから、商売の邪魔だと棒でひっぱたかれたりしたことです。
そんなハチの姿をみかねて、日本犬保存会初代会長の斎藤弘吉さんが、ハチの悲しい事情を人々に知らせようと当時の朝日新聞に「いとしや老犬物語」という記事を寄稿したのが、上野博士が亡くなって8年が経った昭和7(1932)年のことでした。


この記事は大きく取り上げられたのですが、この記事のハチの写真が、耳が垂れていることから、記者が間違って「雑種」と報道しました。
このためいくどもこれを「秋田犬」と訂正させたことから、逆にこれが宣伝効果となって、ハチは人々から可愛がられるようになります。
「忠犬ハチ公」というあだ名も、このころにつけられています。

ハチのひたむきに主人を思う姿は、多くの人の心を打ち、翌昭和8(1933)年には、ハチの銅像を造ろうという話が持ち上がります。
そして全国の小中学校で寄付が集められた。
おもしろいのは、当時、ハチの物語がアメリカでも紹介され、アメリカの小中学校からもたくさんの寄付金が届けられたことです。

ハチの銅像は、彫塑家の安藤照さんという方によって造られました。
安藤さんはアトリエが渋谷区初台にあり、当時のハチの飼い主である小林さんの家と近かったのです。
銅像を造るため、小林さんは毎日安藤さんの家に通ったそうです。

この銅像が渋谷駅前に飾られると、駅の近所では、「ハチ公せんべい」「ハチ公チョコレート」などが販売されるようになりました。そしてハチは、文部省の尋常小学校修身書の小学2年生の教科書にも掲載されます。


さて、昭和10(1935)年3月8日、ハチは渋谷駅の反対側の稲荷橋付近で、ひっそりとその生涯を閉じました。
享年13歳でした。
死因は、フィラリア病がハチの心臓にまで達したこと。
そしてハチの胃の中からは、焼き鳥の串が数本、胃につきささっていたそうです。

ハチが旅立ったあと、渋谷駅には、多くの人が押し寄せ、盛大な葬儀が執り行なわれました。
そしてハチの遺体は、上野博士の眠る青山墓地に埋葬されました。

ハチの像は、その後、昭和19(1944)年、戦時中の金属回収運動の中で回収され、溶解されてしまいます。
現在のハチ公像は、昭和23(1948)年に、安藤照さんの息子さんがあらためて作りなおしたものです。

こうしてハチは、いまも渋谷駅前で、主人の帰りを待っています。

戦後の日本人が忘れているもの。 それが「忠」です。
「忠」は、真ん中の心と書きます。
自らの心の中心に置くもの。それが「忠」です。
おそらくハチにとって、主人の上野博士は、まさに心の中心だったのでしょう。

そしてその上野教授は、日本の農業を土木から支えようとした方でした。
日本は、神々から天壌無窮の神勅を受けた国です。
神話によれば、青々とした水田が広がる限り、日本は永遠に守られる。

農業は、人々の和を尊び、争いごとを嫌います。
そして人々が協力しあって作物を育て、収穫する。
協力しあうところに、日本の集団主義、家族主義という心があります。

上野博士を慕ったハチは、亡くなりました。けれどそのハチの姿は、銅像となって、いまも渋谷の駅前に建っています。

思うに、いまも渋谷駅前で主人の帰りを待つ忠犬ハチ公の姿は、単に上野教授を待っている姿なのではなくて、農本主義であり、集団主義、家族主義であった日本の心の帰りを待つ姿、すなわち、日本の復興を待つ姿なのではないか。
そんな気がします。


■最後にひとつ、これをお読みいただいた方に申し上げたいことがあります。
生きたハチは、剥製となり、国立上野科学博物館に展示されています。

ところがこのハチの剥製、なぜか国立上野科学博物館の動物コーナーに展示してあり、
ネームプレートには「秋田犬ハチ」と書いてあるだけです。
以前は、きちんと由来の説明書きが添えてあったのです。
けれどいまでは、ただ名前が書いてあるだけ。
それも動物コーナーで「秋田犬ハチ」です。
これではなんのことやらさっぱりわかりません。

おかしくありませんか?
ハチは、秋田犬だから剥製になっているのでもなければ、洋画で取り上げられたからでもありません。

日本人の忠義の心を体現した、その行動が人々から愛されたから、いまもその名をとどめているのです。
なぜ国立上野科学博物館は、ハチの由来を撤去したのでしょう?
なぜ、ハチは、忠犬ハチ公ではなくて、「秋田犬ハチ」なのでしょう?

日本人が日本の良い話を語り継がなくて、いったい誰が語り継ぐというのでしょうか?
忠犬ハチ公が日本の忠義の心の象徴だから、意図的な日本人の精神性への破壊工作ですか?

こんなところにまで、日本破壊の魔の手が伸びていると思うと、ぞっとします。
この現実を、渋谷の忠犬ハチ公の物語とともに、ひとりでも多くの人に知っていただけたらと思う次第です。

日心会小名木代表ブログ  ねずさんのひとりごと より

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日本で作られた映画もリチャードギアのアメリカ版も視ましたが、ここまで詳しくなかったような気がします。
実に詳しく書かれてあり、改めて感動しました。
ここまで主人を思うには、飼い主、上野教授のハチ公に対する愛情が計り知れないほど大きかった事が伺えます。

人間は時として裏切りますが、動物は愛情を注げば決して裏切らないんですね。
この商売を長くやってますが、この話を聞かせたい人もたくさんいました。
せめて、犬にも劣らない人生でありたいものです。

えっ!あんたの愛情が足りなかったのでは?
そうかも知れませんね。
久々に考えさせられたひとときでした。

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残念だ。
私の大好き歌舞伎役者、十代目、坂東三津五郎さんが逝った。
私より一つ上のまだ59歳、しかも私の誕生日に逝ってしまった。
三津五郎さんを初めて生で見たのは今から16年ほど前。
名古屋御園座で蜷川幸雄さん演出に興味を持って観に行った時に当時、坂東八十助として主役をはっていた。


その時、客席全体に雪が降る演出と八十助さんの演技に魅了され、私はその公演を5回も観に行った。
その舞台の光景が忘れられず、2000年の藤秋会御園座公演で無理を押して客席降雪シーンをやらせて頂いた。
いわば、藤秋会の現在の舞台は御園座のあの時の舞台が大きく影響している。

日本舞踊、坂東流の家元としても流れるような踊りには定評があり、舞踊界としても大きな方を失った。

まだまだ素晴らしい芸を見せて頂きたかったが本当に残念。
心からご冥福をお祈り致します。。

合掌

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現在65歳以上の高齢者で認知症を発症している人は、予備軍も含めると4人に1人いる計算になるそうで大きな社会問題になっているが、24日夜10時からNHKで認知症キャンペーンの番組が放送される。

その解説をされる方が、国立長寿医療研究センター部長の【島田裕之】先生。

以前ブログでご紹介したが、この方は東京教室の訓悠(島田重雄)さんの息子さんだ。
島田先生が研究されている認知症の発症予防法は大変効果があり、世界中から注目を集めているそう。

これから更に加速する高齢化に向けて、家族の為、ご自身の為にも是非ご覧頂きたい番組です。

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お弟子さんと言うのは実にありがたいものです。
昨日の稽古終了後に秋田藤秋会と宮城藤秋会は秋田県一の繁華街、川反(かわばた)にくり出し合同で遅ればせながらの新年会と、35周年の決起大会をやりましたが、何と!その席で私の誕生日を祝ってくれました。

昨年はたまたま岡山教室の日で、誰にも言ってませんでしたが、オールディズのお店で盛大に祝ってくれ、忘れられない日としてしっかりと人生の引き出しにしまっています。

今年も忘れられない日になりました。
そんな心優しい皆さんに私は何をお返ししましょうか?

ハイ、決まりました!私は皆さんに【夢】をお返し致しましょう。
それもとびっきり素敵な夢を。
皆さんに夢をプレゼントするのが私の仕事、夢先案内人として頑張ります!!


皆さん、本当にありがとう。

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今から58年前の今日生まれました。
若い時はお弟子さんのほとんどが自分よりも歳上ばかりで、立場上早く歳をとりたいと思ったものですが、この歳になりますと毎朝顔を洗って鏡を見るたびに、叶う事なら時間がこのまま止まってくれないかと思う日々であります。

生まれた時はこんなに可愛かった?私ですが、あれから58年、とても同じ人間とは思えません。
自分もそうですが、母親もこんなに若かったんだと、今の状況を考えれば感慨ひとしおです。

理想的には60まで頑張ったらその後はゆっくりしたいなあ、なんて人並みに思ったりもしてましたが、世間では定年が延長され、そんな訳には行かない雰囲気。

まだまだやることはあるので、気持ちだけは若く持って頑張ります!

両親に感謝、家族に感謝、そして今日まで支えてくれた全ての方々に心から感謝です。

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久しぶりに我が家に帰って来たが、この時期こんなに雪が少ない
のは多分10年ぶりくらいかも知れない。
高齢化した雪国にとって雪かきや雪下ろしは深刻な問題で、雪が少ないのは本当にありがたい。


家に帰って来たら友人から手紙が来ていて次の言葉を贈ってくれた

【源深くして水流れ、水流れて魚これに生ずるは、情なり、根深くして木長じ、木長じて実これに生ずるは、情なり。君子、情同じくして親合し、親合して事これに生ずるは、情けなり】

(水源が深ければ水は豊かに流れ、したがって魚も多く集まります。根深く張れば木は大きく成長し、したがって実もたくさん成ります。君子が心を一つにすれば力は何倍にもなり、したがって大きな功績をあげることができます。)

凡人の私には大変難しい言葉ですが、心にとめておきたい言葉です。

友の友情に感謝です。

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2020年東京で開催される東京オリンピックまで5年あまり。
このオリンピックに出演すべく夢をかがげている我が藤秋会だが、昨年10月に日本武道館で行った津軽三味線1000人弾きに大きなお力添えを頂いた方が、自民党の前総務会長の野田聖子衆議院議員。


野田先生が親代わりと慕う方が、我が藤秋会の不破利兼会長というご縁で、何かと先生には昔から色々とご尽力頂いてる。
その野田先生がこの度オリンピック終了後に開催される、パラリンピック東京大会の【成功ワーキングチーム座長】に就任されたと先日不破会長からうかがっていたが、新聞にもその事が掲載されていた。


う~ん、これは吉報だ!
オリンピックとパラリンピックはセットなのでその一方のトップに野田先生が就任したとあれば、これはかなりオリンピック出演が近くなったか?

期待は膨らむ。
あとはいつ声がかかっても大丈夫なようにしっかりと準備を怠らないこと!
その事をしっかりと受け止め万全を期したい!


ご就任心からお慶び申し上げます。

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藤秋会35周年記念【夢舞台2015】まであと4ヶ月となった。
毎回ステップアップしお客様に満足していただきたい、そんな一心でこれまでも民謡界ではあり得ない舞台を作って来たが、今回は更にバージョンアップし、良いステージになりそうだ。


そのキーパーソンがご覧のお二人。
右から二人目、訓栄の隣の方が、藤秋会の舞台監督をやって頂いて25年の牧村紀男さん。彼でなければ藤秋会の舞台はやれない。
私の無理難題を寝ないでもやろうとしてくれる方だ!


そして左の方は元、御園座の敏腕プロデューサー、谷本公成さん。御園座建て替えに伴い独立、御園座の名プロデューサーとして東西でその名を博した、篠田邦雄氏の薫陶を受けた今最も旬なプロデューサーだ。

今回はこの二人がタッグを組み私の企画を極限まで作り上げる!
夕べも良い話が出来た。
今回の公演は今までの公演で最もアグレッシブで豪華なショーになること間違いなし!

今からワクワクする。期待して頂いて間違いなし!

早めのチケットご予約を!!

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先日NHKの収録で仙台に2日泊まったが、泊まったホテルが【法華クラブ仙台】

珍しかったのが部屋のドア。
和室だと大抵が引き戸だが、何と!ここは洋室ながら引き戸でご覧の開け方が書いてあり、しかも鍵がこれだ!ハリーポッターばりのレトロ調で中々、いいじゃないの。


接客も好感が持て気持ち良く泊まらせて頂いたが、更に驚いたのが朝食。
夕食バイキングと間違えるほどの品数の多さで、焼き魚なんかは何種類もあり、朝から、すみませ~ん、おビールお願いします、なんて言いたくなるラインナップだ。

味もよし!これには皆さん大満足!!
仙台の代名詞とでも言おうか、【牛タン】カレーまである。
これでお値段がそれなりだったら、やっぱりなあ、だが、普通のビジネスホテル並みと大変お得感がある。


仙台に行ったら是非また泊まりたいホテルだ!

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昨日朝から岡山で教室を済ませ姫路へ移動、教室終了後に駅前の姫路プラザホテルの一階、ダイニング豊沢で皆さんと会食。
ここのママさんは大変明るくユニークな方で、いつも快く食事をさせてくれる。


そのママさんが昨日驚きの発言をした!

姫路と言えばユネスコ世界遺産日本第1号の姫路城は誰もが知っている名城。
その巨大で優雅な姿は海外からの観光客にも人気が高く訪れる人も多い。

姫路城は2009年から平成の大改修工事を行っていたが、この度めでたく完了!
来月の26日から全面公開となった。
しかも驚くべきはその新装公開を記念して、その日に航空自衛隊のアクロバット飛行隊、あの【ブルーインパルス】が祝賀飛行をすると言うからこれは見逃せない。


姫路には27年も来ているのに知らなかったが、実は競馬場があることを昨日初めて知った。
へえ~、姫路に競馬場があるんだあ。
そこでこのママさんが仰天発言!!

そのブルーインパルスが姫路競馬場に降りてそこから飛んでくるんじゃないか、と真面目な顔で話した。

ママさん、いくら何でも競馬場に戦闘機は降りないでしょう。
仙台からの疲れが溜まってるのに、余りにも強烈な発言に撃沈!


ああ~、疲れました。ちなみにこの方の前職は数学の教師です。

お時間のある方は3月26日に是非姫路にお越しください。
競馬場には降りないとは思いますが。

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